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姉が家を出ると云った。

2013-12-23

 

姉が家を出ると云った。
それは別に、進学とか就職とか、結婚とか、そんな甘ったるい理由ではない。
すでに四十路を迎えようとする独身女の決断。

姉が固定資産税を払い、維持費を払い、管理費を払い、毎日の生活を送る場所、つまり、姉の住んでいる家は、ほんの少しだけ複雑な過程を経て、彼女と住まいとなったもの。
当初は、私達姉妹と両親の四人で暮らそうとしていた4LDKのマンションの一室であったが、部屋を購入した約一年後に父が事故死。
当時、小学生だった私達を一人で育てることに不安を覚えた母は、彼女の実家に帰り、そちらで就職。私達も自然それに従った。
ところで、購入したばかりの『家』はどうなったのか。
今ならば母の気持ちはよくわかる。最愛の夫と終の住み処となるはずだった場所だ。そう易々と手放せる訳がない。
幸いにも、『家』は、ド田舎にある母の実家とは違い、利便性の高い街にある。将来、私達が進学した時に、この『家』から通えるようにと、母は維持することを選んだ。
母の目論見通り、私達姉妹は地元の高校を卒業するやいなや都心部に進学。その際、この家が大いに役立ったことは云うまでもない。
大学を卒業し、就職した私は通勤の便を考え、会社にほどほどに近い場所のアパートを借りたが、姉は家に残り、家から通える範囲の会社に就職した。
母は実家に、姉はこの家に、私はアパートに。
三者三様の生活は、母の両親、つまり、私達の祖父母が亡くなったことで、ほんの少しだけ、変わるはずだった。
母が会社を定年退職するのを待たずして、祖母が他界。祖母を追うように祖父が亡くなる。
祖父母が住んでいた家は、昔ながらの農家の造りで、風が吹けば、壁が唸る。この家に一人で住むのは心細いと、母は、かつての『家』に帰ることを決断した。
そこまでは、私も姉も、重々に予測していたことである。
しかし、姉は、ならばと言葉を続けた。
「私はこの家を出ます」
お世話になりましたと深々と母に、私に頭を下げる。
母と姉の二人で暮らすのだとばかり思っていたのだ。納得できるわけがない。
母は当然、姉をなじった。
出て行くことはない。一緒に暮らせばいい。
生活費なら自分も出すから、と食い下がる母に、姉は困ったように笑ってみせる。
申し訳ないけれど、別のマンションを買ってしまったし、来週の土曜に引っ越しを業者に頼んでしまった。今さらなかったことには出来ない、と。
周到すぎる姉に、呆然とする母、ウグイスの声が遠くで響く。
姉はもう一度腰を折って、母に云った。
「勝手に決めてごめんなさい、今まで住ませてくれてありがとう」
どこか、肩から荷を下ろした姉の表情に、ああ、気付かなければよかったと、私は臍を噛んだ。
私達が就職した頃、この家を売ろうと云う話が母から上がったことがある。きっと父が亡くなったことが母の中でも決着がついたのだろう。しかし、その度に姉が、もう随分とこの家に慣れてしまったから、とやんわりと話を引き下げた。
離れて暮らし、結婚してしまった私の知らないところで、母と姉の間では何度もこの話題があがったのかも知れない。しかし、今の今までこの家が姉のもとにあるのだ。きっと、何度となく母の話を断ってきたのだろう。
もし、姉がこの家を離れれば、母はこの家を手放す。
だから、今日の今日まで、姉はこの家に住み続けた。
有能な姉が地元の就職を選んででも、大好きだった恋人のプロポーズを住む場所を理由に断ってでも。
ここは、母と、亡き父の終の住み処となるはずの場所だったから。
家具の配置も変えず、小物の場所も変えず、維持を努めた。
自分の人生を堵して、ただ、今日のこの瞬間の為だけに、姉はこの家に住み続けたのだ。
母はそんなに私と暮らすのが嫌かと姉を詰る。
姉はただただ微笑んで首を振った。
そうじゃない、違うのだと。
やっとここが、私達姉妹の実家になるのだから、私達の帰りをどうか待って欲しい。
私や妹がいつだって帰りたくなる家にして欲しい。
婚期を逃した私が出来る親孝行は、これが精一杯なのだから、と。
埃一つついていない窓ガラスが春の日射しを柔らかく受け入れる。
こんな優しい雪解けは、一体いつ以来だろう。

サムネイル 写真素材 足成 様
http://www.ashinari.com/

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