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彼女は一度も、自己弁護する言葉を使わなかった。

2014-04-11

 

その日、私はなぜ、姉の家に立ちよったのか、よく覚えていない。
姉のマンションの一室を埋め尽くす蔵書を借りに行ったのかも知れないし、あるいは、借りっぱなしだったDVDを返しに行ったのかも知れない。
手土産も持たず急に訪問した私を、姉はほんの少しだけ驚いて、それでも、「かなり散らかってるけど、それでもよければ」と軟らかく微笑んで迎えてくれた。
整理整頓がしっかりなされている姉のことだ、散らかってると云ってもたかが知れているだろうと通されたリビングは、失礼だが、本当に雑然としていた。
別に、床が見えないわけでも、ゴミが散らかっているわけでもない。
しかし、壁際に本やDVDが積み上がっていたり、ましてや、畳んだ洗濯物がそのままリビングで放置されているなど、姉にとってはあり得ないことだった。
そして何よりも目を惹いたのは、春になっても片付けられていない炬燵、ではなく、炬燵の上の面積を半分近く占拠している色とりどりの折鶴である。
今、お茶煎れるね、と姉は声を掛けるが、私は生返事ですら出来たか自信がない。
姉の性格を投影するように理路整然と並べられた折鶴に、どこか、狂気すら感じる。
この数、千羽鶴、だろう。
姉の友人が病気でもしているのであろうか。
私の様子に気づいたらしい姉は、台所から顔を覗かせると心底申し訳なさそうに苦く笑んで、動かせないから勘弁してねと謝った。
「誰か入院してるの?」
私の問いに、姉は一瞬だけ眉を歪めて首を振る。
ではなんだ。
千羽鶴なんて、仕事を持った人間が正気で作るものじゃない。よほど退っ引きならない事情が、
「先週の水曜日に、人を殺したの」
今日はいい天気だね、と云うのとそう変わらない様子で、姉はそんなことを云った。
さーっと、血の気が引くのがわかる。動悸が早くなり、唇が震える。
そんな…。だって、そんなこと…。
「警察には…」
やっと吐き出した私の言葉に、姉は痛みを堪えるような笑みで口を開いた。
「法律では裁いてもらえない。私が殺したのは、妊娠八週目の子供だから」
つまり、それは…。
私の思考を読んだように姉は首肯する。
「中絶したの。だから、罪に問われない。むしろ、刑罰が下れば、どれ程楽だろうね」
そうして、姉は私に紅茶の入ったマグカップを差し出した。
姉が、中絶?
赤ちゃんを、自分の子供を堕ろしたというのか。
「前の仕事辞める直前に知ってね。結婚する気もないし、仕事も新しくなる。そうなったら、妊婦なんて雇ってくれないでしょう」
だから、と、姉は俯いた。
「3月は忙しくて、私、子供に何もしてあげられないまま殺しちゃったの」
だから、千羽鶴?と私が聞くと、姉は眉を歪めたまま微笑んで見せる。
いや、違う。
うまく、笑えないのだろう。
「こんなの私の自己満足でしかないんだ。でも、やってると落ち着くの」
先週の水曜日から鶴を織り始めたとして、すでに三百を下らない。織るのが早すぎるではないか。
「それに最近は、頭を極限まで疲れさせないと夜眠れないし、お陰ではかどっちゃって」
変な話をしてごめんね、と姉は私に笑いかける。
紅茶を飲みながらも、その手は折鶴を作ることを止めなかった。

後に調べたことだが、中絶後遺症候群というものがあるらしい。
中絶経験者の約20~40%の人が、中程度から高程度のストレスと逃避行動を起こしているという。そのストレスは深刻で、心的外傷後ストレス障害、通称PTSDにさえ繋がる。
片付けられていない部屋、不眠症、何かへの執着。
私の前で、姉はそういったストレスを一つも見せなかったが、部屋にはその片鱗が伺える。
(どうしたらよかった)
慰めればいいのか?忘れろなんていえるはずがない。自分の子供を殺したのだ。
沢山泣いて、感情を爆発させて、そうして乗り越えて行かなきゃならないのだろう。
(泣かせてあげればよかった)
私は、唇を噛み締める。
辛かったね、苦しかったねと、声を掛けてやればよかったのだ。姉がいかな人前で泣かないことを知ってても、こんなの辛すぎる。
姉は一度も、中絶について自己弁護する言葉を使わなかった。
自己を正当化することを良しとしなかったのだ。
きっと、今日に至るまで、何度も泣いてきただろう。何度も後悔してきただろう。
何もなかったかのように私に対して姉が振る舞うのは、そうでもしていなければ、壊れてしまうから。自我が保てないからだ。
術後の検診も終えた。身体は順調に回復に向かっているから心配ないといって笑った姉。
身体「は」?
じゃあ、心は?
子供を堕ろした病院に検診に行って平気だった訳がない。
ましてや産婦人科なのだ。妊婦や生まれたての赤ん坊と一緒の待合室で、彼女は1人、何を思っただろう。
『自分の子供を踏み台にして、私は日常に帰ってきたんだよ。一日一日を大事にしなきゃね』
よくよく見れば、泣きすぎたのか、姉の瞼が疲れていた。
そうして姉はこれからずっと、生きていくのだろう。
誰に裁かれずとも、罰されずとも、自分を責めていくのだろう。
『お坊さんが言ってたの。赤ちゃんの霊、水子はとっても優しいんだって。すぐに天国に馴染むんだって。だから、私がいつまでも落ち込んでいたら心配するから、少しでも早く体調を戻さないと』
戻らないのは体調なんかではない。
子供が許してくれても、姉はきっと、自分のことが許せない。
今度一緒にお参りしてくれると嬉しいなと。そんな強制力の弱すぎる言葉すら痛々しく、私は是非行かせてくれと云って、腰を浮かせた。
折り紙の裏面にびっしりと文字が書かれているものがあるのに気づいたのは、席を立つ直前。
とっさに、見てはいけないという道徳的思考と好奇心がせめぎ合い、それでも一行だけ読めてしまう。
『私は頑張って生きなければ』
天国の我が子に宛てた、姉の手紙。
折鶴にそっと忍ばせた思い。
隠された姉の本音。
(本当に…)
生めなかったことを悔いて、一度は死ぬことすら考えたのか。
鶴を織る手慣れた姉の手つきを思い出し、私は甥だか姪に手を合わせた。
(本当にどこまで不器用に生きるのだろう)

参考文献 ●中絶後遺症候群(PAS)http://www5f.biglobe.ne.jp/~yuandme/abortion/a-10.html

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

 

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