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彼女は食べるのを止めた。

彼女は食べるのを止めた。
いや、完全に絶食したわけではない。
ひと欠片のチョコレートと、一杯の牛乳。
それが彼女の一食。
食べるのが好きで、成人男性の1.5倍は食べていた彼女が、食べなくなった。
お腹空かないの、と俺が聞くと、困ったように笑ってみせる。
それから彼女は、非常階段でひっそりと「食事」をするようになった。
失言だったと後悔しても遅い。
うちの課は人数が少ない。少数精鋭といえば聞こえはいいし、かっこいいが、単純に人が足りてないだけだ。
そんな課だから、ランチは自然とみんなで一緒に、となる。
いつの間にやらその輪から外れた彼女だが、それでも人間関係に支障を来(きた)さない辺り、彼女の如才のなさがよくわかる。
そんなこんなで1ヶ月。俺と彼女の間には前述の事柄のために、一種の膠着状態が続いていた。
一緒に食べないのか、という言葉を振り切り、俺はちょっとやることがあるのでと、抜け出す。
向かうのは非常階段だ。
コンビニのビニール袋が体の隣で前後に揺れる。
非常階段への扉を開くと、そこに彼女の姿はなった。
気付かれただろうか。
俺は苦い思いで階段を上がる。
屋上を目指したのはなんとなくで特に理由はなかったけれど、それでも、彼女はそこにいたのだから、結果オーライだろう。
そう広くはない屋上。その上、階段はカツンカツンとよく音が響く。人が近付けば、瞬時に気付かれてしまうのだが、それでも構わなかった。
彼女はフェンスから少し離れた場所で地べたに座っている。
服が汚れることも気にせず、真っ青な空を一心に仰いでいた。
背後から近づいて驚かせるような趣味は持たないけれど、彼女の名前を呼べなかったのには、理由がある。
泣いてる。
初夏の風が小さな泣き声を乗せる。
いや、泣き声、というか、なんというのだろう。声も息もおさめているけれど、それでも何故か泣いてることに気づいてしまった。
どうしようと悩む心情とは裏腹に、足は止まらない。
とうとう彼女の隣に立ってしまう。
横目でこっそりと彼女を覗き見れば、その人は空を仰いだまま、はらはらと涙をチョコレートの上に落としていた。
泣き声なんて、上げてなかった。
ただただ静かに涙だけが流れ落ちる。
ああと小さく吐き出すと、彼女は涙をぬぐうこともせず、どうしたんですかと微笑んだ。
「綺麗な空だね」
答えになってないけれど、それ以外になんて云えるだろう。
「そうなんです。綺麗なんですよ」と彼女は笑う。
なんで泣いてたの、なんて聞いたら、臆病なその人は、また逃げてしまうだろうから。
そうしてぼうっと二人で空を眺める。
雲一つない空は腹が立つほど真っ青で。
1ヶ月前よりも一回り小さくなった彼女は、栄養が偏っているのだろう。肌を青白く染めていて、このまま空に溶けちゃうんじゃないかって怖くなった。
「辛い」
彼女は微笑みながら、空に向かって静かに罵倒する。
俺は相槌が打てないまま、莫迦みたいに隣にいて、ただただ次の言葉を待った。
「辛くて苦しくて……、このまま空に溶けられたら楽なのに」
それ、さっき俺が心配した。
「生きるのも怖い、死ぬのも怖い」
彼女の声が、掠れる。
「そんな風に見えなかった」のに、と云う人は、SOSを発信するのが下手くそで。
職場では快活で悩みなんか微塵もなさそうなこの人も、ご多分に漏れず、その一例だ。
きっと、賭けていたんだろう。
ひと欠片のチョコレートと牛乳で。
ゆるゆると、ある朝目覚めることが出来なくなればいいのにと。
「怖い」
私なんて、と声をなくして唇が奏でる。
そのあとに続いた言葉は見なかったことにした。
辛くて、辛くて、辛くて。
青い空見て、息を乱さず、嗚咽も漏らさず、涙を流すくらいなのだ。
「何が」でも「どれが」でも「どういう事で」でも、ない。
今のこの人には自分を取り巻く周囲のすべてが辛いのだろう。
声を思いっきり上げて泣くと楽になるよ、なんて俺が言ったところで、彼女は意地でも泣かないlことはわかり切っている。
俺は彼女の隣にしゃがむと、ビニール袋を目の前にかざした。
「チョコ、飽きたんじゃないかと思って」
彼女は脈絡のなさすぎる俺の言動にキョトンとする。
「ここの杏仁豆腐、めっさうまいから」
食べる?と聞けば、こくりと頷き、知ってますと答えが返ってきた。
うわぁ、可愛くない。
彼女は「せっかく買ってきて頂いたものを無下に出来ませんし」と口の中でもごもご言い訳する。
それでも素直に受け取って、蓋を不器用に開ける姿に俺は静かに安堵した。
お願いだからもうちょこっとだけ、生きるのを諦めないで欲しい。
スプーンで小さな一口をすくい、口の中に入れる。
「美味しい」
そう呟いて、彼女は一粒の雨を降らせた。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

 

2014-04-17

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