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なんて、卑怯で弱い人間だろう。

2014-05-01

 

手首の傷は痕に残りますかという妹の言葉に、医者は至極淡白に、残りますねと応えた。
それを聞いて妹は、わあっと声を上げて慟哭する。そうして私に対し「なんでこんなことを」と「もう二度としてくれるな」と何度も何度も詰った。
悪かった、もう二度としないと云った私に誠意がないと、再び妹は責め立てた。
妹は、たまたま私の家に立ち寄ると、風呂場で血塗れになった私を発見し、救急車を呼んだのだという。
ごめん。ありがとう。お陰で助かった。そういって宥める私に、妹は子供のように大きな声を上げて泣いた。
初夏の空が、目にとまる。突き抜けるような青い空にはぽっかりと白い雲が浮かんでいて、なんだか楽しそうだ。
私は、本当に命を絶つつもりだったのだろうか。
妹が家を訪ねてくるタイミングは、なんとなく計れるようになっていたはずだ。
それを見越したかのように、わかりやすく、不確実な自殺の仕方。
私はどこかで、誰かに助けて欲しかったのではないだろうか。
自分を殺すことによって、「自分はこれだけ苦しんでいるんですよ」とアピールしたかったのではないか。
本気で死ぬつもりなら、もっと確実な手段は沢山あるのだから。
なんて、卑怯で弱い人間だろう。
こうすることでしか、次への一歩を踏み出せないなんて。
子供を殺して、自分を殺そうとして、それでも生き続けていて。
こんなにも醜い人間を、妹は、生きてくれてよかったと、泣いて喜んでくれる。惜しんでくれる。
それほどの価値が、果たして自分にあるのか、わからない。

退院してしばらくすると、私は地元の小さな電気会社に就職した。
事務職という名の雑用職。
それでも、引きこもりのニートに戻ろうとは思わない。
一人で鬱々と家にいるよりは、随分と気が晴れる。
他人との煩わしいやりとりすら、心地よいと思えてしまうくらいに。
確実に云えるのは、一時よりは随分と、心が穏やかになったと言うこと。
殺してしまった子供のことを思い出すと、未だに泣きそうになる。
一日たりとて忘れたことはないし、彼女のことを思わない日はなかった。
しかし、生きている以上は、生かされている以上は、私は前に進まなきゃいけない。
たまに我慢しきれずに大声で泣くことも、ただただ涙が流れて止まらなくなることもあるけれど。
格好悪く鼻水を垂らしながらも、私は、生きて行かなきゃいけない。
現実は物語とは違うとつくづく思う。
「いつ」「どんなきっかけ」で立ち直れたのか、なんて明確な線引きなど存在しない。
それでも、こうしてどうにか地面を踏みしめて立てるようになった。
前に歩くことが出来るようになった。
使い古された文句を引用するならば、「時間が癒やしてくれた」のかも知れない。
事実をあるがまま受け入れ、美化することも劣化させることもせず、心の中にとどめておく力が。備わるまでに膨大な時間を使ったけれど。
それを浪費だとも、消費だとも思わない。
身を以て学んだことは、何にも耐え難く痛かった。
痛みで死んでしまうのではないかという中で延々と藻掻き続けた。
一生この痛みは消えないだろう。
でも、それが正解なのだ。
重度の火傷を負った皮膚が、完全に戻らないことと同じように、傷跡は深く残る。
そこから目をそらさず、立ち向かっていく力を、手に入れたのかも知れない。
「桜!」
小さな女の子がはしゃいで駆け抜ける。
「転ばないでよっ!」
と若い母親が後を追った。
頭上を見上げれば、青い空をピンク色の花が彩り、覆い隠している。
「綺麗…」
あれから何度も廻ってきたこの季節。
そのたびに、滂沱の涙を流して来た。
今年もきっと、私は部屋の隅っこで泣くだろう。
それでも構わない。前に進もうという心さえ折れなければ。
「貴方にも見えるかな…桜、咲いたよ」
私の言葉に頷くように、目の前で花弁がふわりと舞った。

中絶を決めた女の話 完結。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

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