Here now
ホーム > セリフ・掛け合い > この酔っぱらいが。

この酔っぱらいが。

 

 

身体が柔らかいと、自負していた。
お陰で怪我も少ない。
よろけても転んでも躓いても、無傷である。おまけに治りも早いし、痛みに強いから、誰にも気付かれずひっそりと完治することが出来るのだ。
「あっ!つう……」
その夜私は、ちょっとした段差によろけて足をくじいた。
まあよくあることだし、ちょっとくじいたぐらいでどうこうなるような貧弱な身体ではない。
はずだった。
鳴ってはならない音がした。
ごきゅっと、脳内に響き渡るその音に、ああ、やってしまったと眉をしかめる。
恐る恐る地面に触れた右足には案の定、激痛が走った。
筋、やっちゃったな…。確実に捻挫の痛みだわ。
捻挫なんて中学生以来だから十余年ぶりである。
いい歳扱いた大人が、捻挫って。
わーマジうけるー。
余りの痛みに耐えかねて、傍の壁に手を付ける。
よくドラマや本で足をくじいた人が痛くて動けないと云っていたが、そんな莫迦な、貧弱者と思っていた。
そんなに痛いはずがなかろう、と。
いや、ごめん。痛いわ。ホント痛い。泣きたくなるくらい痛い。
捻挫ってこんなに痛かったっけ…。
誰もいない廊下の壁を伝いながら、私はよろよろとデスクのある部屋へと戻った。
定時を疾うに過ぎたオフィスには誰もいない。
お陰様で足を盛大に引きずって歩くことができる。
ずきずきと熱を持ったそれは時間が経てば経つほど痛みを訴え、私は唇を噛んだ。
こんなことに煩っている場合じゃないのに。
とにかく簡易的に固定するか。
そう思って備品のガムテープを手にし、自席に戻る。
社の備品を私用に使う事に対し大いに抵抗を覚えるが、緊急事態だ。勘弁して頂きたい。
とにかく今は痛めた足首を固定したい。
誰も見る人なんていないし、とイスの縁に右足を掛け、ガムテープを伸ばしたところでドアが開いた。
「あ…」
空気が固まった。
こんな夜遅くにオフィスに入ってきたのは、同じ課の、田中という男性である。
平凡な名前に反して、なんて言い方は失礼だが、それなりに有望でそれなりに容姿も整っていて、誰にでも優しい好青年だ。
そんな彼も流石に、ガムテープを持って伸ばした私には度肝を抜かれたようで、掛けるべき言葉を探している。
「えっと、とりあえず、…」
田中君は、非常に云いにくそうに視線を逸らす。
「パンツ丸見えです」
ですよねー…。スカートですもの。
「あー…その、汚いもの見せて、すみませんでした?」
「なんで疑問系」
眼福なんて思われても困るし、私にそんな価値なんてない。
慌てたり恥じたりなんてしたら彼に失礼ではなかろうか。そんな思案の果てに出てきた言葉である。
とりあえず私は足を下ろす。まあ、ガムテープで足を固定するのは彼が立ち去ったらゆっくりと行うとしよう。
「沢村さん、もう十時ですよ」
とても直球に仕事が遅いと言われた気がする。いや、これは僻みか。
「うん…。でも、明日の朝一で提出したいし…」
「今日のプレゼンのヤツ、ですよね」
客先への新商品のプレゼンの前に、課長に見て貰ったのだが手痛くだめ出しを賜った。
これというものがない、という一言には頭が上がらない。
ああでもないこうでもないと資料を引っかき回していたら、あっという間にこの時間になっていたのだ。
仕方ない。仕事が遅いのは今に始まったことではないし。
「田中君は?何で戻ってきたの?」
あ、いや…。と彼は言いよどむ。
「近くで飲んでたんです。で、帰ろうと思って会社の前通ったらうちの課の電気がついてたので誰かいるのかなって」
それでわざわざ会社に戻ってくるものだろうか…。
「あの、そのガムテープ、なんですか?」
ですよねー…。
云えない。いい歳して捻挫して、あまつそれをガムテープで応急処置しようとしていたなんて、絶対云えない。
「もしかして」と彼は呟いて、私に近付く。
身構えた私を気にすることもせず、彼はそのまましゃがみ込み、右足に触れた。
「っ……!」
激痛に声が漏れる。
「やっぱり怪我したんですね。固定しようとしていたって事は、足首ですか?」
「足首って云うか…多分捻挫したっぽいです」
彼は形のいい眉を顰めてみせる。
ああ、整った顔した人はどんな顔しても様になるんだなぁなんて、どうでもいいことが頭を過ぎった。
田中君はスーツのポケットからハンカチを取り出すと、私の足を固定していく。
「ああ…ハンカチって云う手があったか!じゃなくて!」
「俺としては、どこからガムテープという発想が出てきたのかを訊きたいくらいです。ストッキング、ダメになるじゃないですか」
「そのまま捨てるつもりでした。だからそうじゃなくて!」
「はい?」
彼は顔を上げると怪訝そうに私を見る。いや、そんな顔するんじゃないよ。既にツッコミどころ満載だろう。
「手を拭くものでしょ、それ!私の足なんかに使っちゃダメでしょ、しかもそれプラダじゃん!」
私の記憶が正しければ、先月出たものである。
今度顔を歪めたのは、青年の方だった。
「いいんですよ、捨てるつもりでしたから」
私はゴミ箱か。
どうです、と彼は手を放す。
ハンカチは綺麗に巻かれ、足首が固定されていた。
試しに立ち上がると、先よりは幾分か楽になっている。しかし、他人の手前だ。
「おお、すごいすごい。ありがとう、凄く楽になりました」
そう笑って見せた私に、田中君は顰めた眉を更に険しくした。
「沢村さんって、元運動部ですか?」
「え?あ、うん。陸上部」
だから、ある程度の怪我やら傷程度ならば自分で対処してきた。実際は、医者に掛からなきゃいけないものに対し、大したものじゃないからと軽視してきた場合が多い。
捻挫も、あんまりにもやりすぎて癖になってしまい、よく足をくじいているのだ。
故にわかる。田中君も元運動部だろう。手当の手際がよすぎる。
「なら、同じ元陸上部のよしみで云います。本当は痛いでしょ」
うわー…何こいつ、性格悪い。
人が強がってんだから、見て見ぬふりくらいしなさいよ。
「やせ我慢しないで下さい。家まで送って行きます」
「いやいや、書類つくんなきゃ」
「手伝います」
「第一、田中君が付いてきてくれても、痛みが治まる訳じゃないし」
わー…私可愛くない。
「なら、おんぶします」
「ダメだろう!」
それは色んな意味でダメだろう。
「ていうのは半分嘘ですが」
半分は本気なのかよ!
恐いわ、この人!
「せめて肩ぐらい貸します」
無理だろ、それ。身長が同じくらいの人がやるから効力を発揮するのであって、明らかに私よりも十五センチ以上背の高い田中君の肩を借りても、辛いだけだ。
「いや、もうホント、足固定して貰っただけでかなり助かりましたし、私、ホント早くこれ片付けたいし…。ハンカチ買い換えて返すから!」
彼は私を睨んでいたが、しばらくして肩から息を吐き出すと渋々と口を開いた。
「わかりました」
わかってくれましたか!
「仕事手伝います」
わかってない!微塵もわかってないよ、この人!え?何!私の話聞いてた!?
そうして彼は隣の席に座ると、机の上に散乱している書類に目を通した。
ああ、こうなったらもうダメだ。きっととことん私の仕事に付き合うつもりだろう。
「残業代でないよ?」
社員IDは既に通してしまっている。
「勿論ですよ」
彼は爽やかに笑って見せた。
この酔っぱらいが。
私はそう胸中で毒づいて、キーボードを叩き始めた。
仕事が終わった頃にはとっくに終電に乗り遅れ、勿体ないからと固辞した私を彼がタクシーで送るのは、また別の話である。

2014-05-06

 

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

0

コメントを残す

Top