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「まあ、いいや。しょうがないね」

子供を殺して以来、「しょうがないね」が口癖になった。
理不尽なことも、傷付いたことも、納得できないことも全て、「しょうがないね」で片付ける。
折り合いを付ける。
自分が悪いのだからと反省すれば、大抵のことは流せるようになった。
どうやら私の憤怒の心は堕ろした胎児が持ち去ってくれたご様子で。
だから、殺した子供の父親が四十九日も過ぎないうちに新しい恋人を作ったときも、お決まりの「しょうがないね」で流そうと思った。

子宮内摘出手術、つまり人工妊娠中絶後、元恋人からは二度ほど、私の体調を気遣うメールが来ていたが、私はそれを無視した。
子供を殺したという自責と後悔の念にかられ、自暴自棄になっていたといってもいい。一時は命を絶つことさえ真剣に考えたし、ふとしたことで涙が溢れて止まらなくなった。そんな日々を過ごす中、元恋人の「体調はどう?」というメールにすら八つ当たりしてしまい兼ねないと思い、彼の連絡を遠ざけた。
どうにかこうにか落ち着きを取り戻したのは子供の四十九日が迫る頃。
今まで連絡を絶っていた詫びと、元恋人の誕生日祝いを兼ねて昼間に送ったおめでとうメールは、エラーメールとなってかえってきた。
なんの冗談だ、と不審に思い、電話をすると数回のコール後、着信を拒否されてしまう。
こちらに非があったのかも知れない。
ヘソを曲げた私に呆れた相手が連絡を拒絶したのかも知れない。
「しょうがないね」
生きていたらこんなこともある。
私の子供はこんなことさえ経験できなかったのだから、生きて経験するだけ私は幸せだろうと、自分を納得させた。
彼からメールが届いたのは、彼の誕生日も終わろうとする十分前である。
「朝の電話はなんですか?」
他人行儀なその言葉に不安を抱えながらも、私はなるべく明るくお祝いメールを送った。
「反応に困る。もうこっちは恋人いるんだから」
心底迷惑そうな文面に、私はメールボックスを閉じた。
こんな震えた手じゃ返信なんて打てないし、またエラーメールとして返されたら私はどうしたらいいのだろう。
「しょうがないね」
ベッドの上で丸くなり、私は小さく呟く。
鼻の奥がツンと痛くなる。
しょうがなくなんて、ない。
喪が明けきらないどころか、四十九日すらまだだというのに、どうして新しい恋人を作れる。なぜ新しい彼女とセックスしようと思える。
「しょうがないね」
女ならばあるだろう子供が腹にいるという実感が、男にはないのだとしたって…。
私は布団を頭まで被り、嗚咽を漏らした。
「あんまりだ」
新しい恋人に誕生日を祝われているから、私の連絡が邪魔だったというのか。
布団を被っても声が漏れる。それが堪らなくイヤで、私はベッドに顔を押し当てた。
子供を堕ろした事実も、二人の間に子供ができたという事実も、奴にとっては過去のことだというのか。
新しい恋人と、新しい生活を始めて、なかったことにするというのか。
涙が溢れて止まらない。
これは怒り?
違う。怒りの感情は、子供が持ち去ってくれたのだから。
「子供ができた」と報告した時も、積極的に生んでくれとは云われなかった。
人工妊娠中絶の直前、子供に情が湧き、やはり生みたいと言ったとき、「一人で育てるつもりなの?」と問われた。
あの時から、私は奴に捨てられてたんだ。
目頭が、どうしようもなく熱い。
子供を殺して、恋人に捨てられて。
「しょうがないね」
魔法の言葉が、ちっとも効かない。
お腹の赤ちゃんが怖かったであろう手術は、私だって怖かった。
カチャカチャと鳴り響く金属音と、大きな音を立てる吸引器。
見ず知らずの男性に、子宮の中をかき回されて、中身を引き摺り出されるのは、泣きたくなるぼど怖かった。
それでも手術中に泣かなかったのは、私以上に子供の方が怖い思いをしているのだと思うと、自分を許せなかったから。
もう、一生恋人なんて作らない。結婚なんて出来ないと、子供の供養を終えて痛感した。
結婚を決めれば、「今、結婚するなら、あの子を堕ろさなくてもよかったのに」と思ってしまうだろう。
恋人が出来たとしても、「もしもまた子供が出来たら、今度は生めるだろうか。また捨てられるのではないか」と恐怖にかられるだろう。
こればかりは、私の中で「しょうがない」と流せるわけがない。
なのに、あいつは…。
あの男は…。
心の中でとめどなく溢れる思い。
ああ、これは怒りなんかじゃない。
悲しいんだ。
あの男に忘れられていく、小さな小さな子供のことが。
あの男に捨てられた自分が。
愛され、大切にしてもらった記憶があるだけに憎み切れずにいて、ただただ悲しいという感情だけが泉の如く湧きいずる。
悲しいね。
私たち、捨てられちゃったんだね。
「まあ、いいや。しょうがないね」
そうして私は、男のデータを静かに消去した。

中絶を決めた女の話 番外編。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

 

2014-05-18

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