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彼女はいつも、眉間にしわを寄せていた。

2014年5月20日

彼女はいつも、眉間にしわを寄せていた。
外界を拒絶するように、俯いたままで。
彼女目線の先にあるのは、几帳面に布のブックカバーで覆われた一冊の本。一心にその細かな文字を追う。いや、追っていると、思う。
なんせ僕から見えるのは、前髪と長い髪から除く、眉毛だけで。その眉だって、いつも難しそうにひしゃげているのだから。
毎日同じ時間、同じ車両に乗っていると一方的ではあるけれど、顔馴染みが出来る訳で。
あの人はどこどこの駅で降りる、とか覚えてしまう。
席に腰掛ける彼女の前に僕が立つようになったのも、同じ理由だ。
毎朝彼女を見つけては、膝小僧の前に立つ。
彼女はどうやら、膝にモノが当たることを嫌うようで、以前、彼女の前に立っていた女性のスカートが膝に当たるたび、不快そうに眉を寄せ、とうとうバッグで膝をガードしていた。
多分、くすぐったかったのだろう。
気持ちはよくわかる。
彼女の膝に物さえ当てなければ、その場所はとても居心地がいい。

ある日彼女は、いつもとは反対側の席に座っていた。
なぜだろうと思って彼女が普段座っている側の席を見ると、なるほど、母子と祖母がはしゃいでいる。どうやら指定席を追われたようだ。
ポイントを通過した電車ががたんと揺れる。
その瞬間、彼女が顔を上げた。
平素ならば、急ブレーキを掛けようが、車内で歓声が上がろうが、我関せずを貫く彼女が、顔を上げた。
驚くべきことである。
一大事といってもいい。
彼女は、一心に僕の後ろを見つめる。
彼女をそんな風にたらしめるとは何事だと、振り返ると、そこには車窓いっぱいの桜が広がっていた。
満開も満開。今が調度見頃である。
ああ、そうか。
彼女はいつもあちら側の車窓に背を向けて、本を読んでいたから気が付かなかったのか。
そう思って彼女に視線を戻し、後悔した。
見てはいけないものを見てしまったときのバツの悪さと言えば、どう表現すればいいのだろう。
彼女は、微笑んでいたのである。
「キレイ」と唇だけで呟いたその顔は穏やかで、眉間にしわなんて見当たらない。
流れゆく桜を、黒目勝ちの瞳が追う。
そうしてきっと桜が見えなくなったのだろう。
彼女は何事もなかったかのように、読書に戻っていった。
しかし、彼女の眉間にはしわが戻ることはなかった。

様々な本を読む彼女。
表紙は布カバーで覆われているので判然としないのだが、ハードカバー、新書、文庫本と色々な物を読んでいる。人を殺せそうな分厚い物もあれば、行きの電車で読み終わってしまいそうなほど薄い本。
それでも、本を相手にすると彼女はたちまち眉間にしわを刻み込むのだ。
難しい内容なのだろうか。
それとも気にくわない、とか。
どうしても気になって、僕はある日、いけないことだと思いながらも本のヘッダーに書かれているサブタイトルを盗み見た。そこから検索を書けて彼女の持つ本に辿りつく。
ネット様々だ。
該当書籍を購入し、読んでみたら、砂を吐くような甘い恋物語だった。
この話をどう読めば、あんなにも深いシワが眉間にきざみこまれるのだろう。
いや……。
甘い恋物語、だからなのか?
現実には決して起こりえないから、だから彼女は眉間にしわをつくるのだろうか。
「僕は嫌いじゃないけどな」
フィクションだから、と許せてしまう物語。
在り来たりな結末と、めでたしめでたしで終わっていく予定調和の物語。
嫌いじゃ、ないけどな。
彼女は、嫌いなのだろうか。ならどうして読み続けているのだろう。
僕は彼女と同じ本を持って吊革を掴む。勿論同じ本を持っているなんてばれたら気持ち悪く思われるだろうから、ちゃんと布のブックカバーを付けて。
こうして僕はひっそりと、彼女の読書歴を追いかけ始めた。

こっそりと彼女の本を追うようになって七冊目を数えた頃、季節は夏真っ盛りになっていた。
彼女はストールを肩からかけて、読書に精を出す。
電車の中はいつだって必要以上に冷えているのだ。女性じゃなくても、僕だってその冷風に苦笑してしまう。
がんがんに冷やしていいのは、満員電車の中だけで十分だろうに、どうやら車掌さんは満員にならない区間も冷やしてくれているようで。
これだけ寒いと、暑いですね、ビールでも。という気持ちにならない。
どうやら電力供給は十分過ぎるくらいに十分らしい。
その日初めて、僕は彼女が立っているのを見た。
彼女が立っている主な要因と言えば、朝ではないから。
帰りの電車が一緒になることは初めてだった。
女性にしては珍しく、網棚の上にバッグを置いて、両手で本を開いている。本が分厚いから片手じゃ支えられないのだろう。吊革につかまらなくて大丈夫なのだろうかと足元を見ると、今までは気が付かなかったけれど、ヒールが太くてそこそこ高くないパンプスを愛用しているらしい。
僕はそっと彼女の隣に立つと、倣って網棚に鞄を乗せ、本を開く。
恥ずかしながら、彼女と同じ本である。残念ながら、片手で持ててしまうので、吊革につかまった。
彼女は揺れにどのように対処するのだろうか、とこっそりと覗き見ると、膝をクッションにしている。器用に曲げ伸ばして、揺れを相殺しているらしい。
これならば、バランスを崩して僕に寄りかかってしまう、なんて素敵なイベントは起こらない。
控えめに申し上げて、残念この上ない。なんて思うのはこちらの勝手な感傷だ。
落ち着かない鼓動をひた隠しにしながら、僕は肩の触れあいそうな距離で、彼女と同じ本を読む。同じ物語を共有し、同じ時間を共有する。
立った彼女は思っていた以上に華奢で、背も僕の肩に届くか届かないかだ。
真っ直ぐに癖のない黒い髪で顔を覆って、やはり、表情はよく見えない。
いや、正面に立っていた時以上に、見えない。
よい具合に御簾のようにになってしまっている。
残念この上ない。
ああ、今日の僕は残念がってばかりだ。
名前も知らない。彼女が読む本しか、僕はわからない。
それでも。いや、だからこそ、というべきか。
彼女を知りたいと願ってしまう。
桜の季節、彼女の美しい笑顔を見てしまったときから、いや、それよりもずっとずっと前から、目を離せないで居た。
今ならわかる。
彼女がどうして難しい顔をして甘い恋愛小説を読んでいたのか。
いや、彼女が読むのは恋愛小説だけではないけれど。
恋模様が甘く切なく、愛おしいものであればあるほど、彼女は眉間のしわを深くした。
だって、自分には降りかからないじゃない。
そんな言葉が聞こえてきそうで。
この世の中に、こんなにも沢山の恋愛の形があるというのならば、その一つが自分に起こってもいいじゃないかと、きっと怒っているのだ。憤慨しているのだ。
世界人口の半分近くは異性だというのに、恋愛対象になりうると言うのに、どうして自分には何も起こらないのだろう。人様の恋愛を、指をくわえて眺めているのだろう。
だから彼女は眉間にしわを深く刻み込んだ。
きっとそんなシワを刻まずに、いつも車窓が桜で彩られていたのなら、彼女を目で追う男は沢山いただろうに。
これを幸と見ればいいのか、不幸と見ればいいのか、僕にはもう、わからなくなっていた。
ドーンと。
海の上を電車が走った瞬間、大きな音が響いて、夜空が一気に明るくなった。
わーっと、誰ともなく歓声が上がる。一方方向の窓側に車両内の視線が集まる。
ドーン、ドーンと音を奏でて、次々と花火が真っ暗な空を彩った。
意匠をこらした火の花が、目の前の窓に広がる。
ああ、そっか。今日は打ち上げ花火の日だったのか。
金曜日で、きっと、会社帰りにそのまま立ち寄った人もいただろう。ビアガーデンから眺める人もいただろう。
それの光景が、目の前で広がっている。
また一つ、二つと海上に花が咲く。
そっと彼女に目線を落とすと、本から目を離していた。
桜を見た時と、同じ顔で。あの綺麗な笑顔で、「キレイ」と声にはせずに呟いている。
フィナーレが近いのかも知れない。間をおかずに花火が上がっては咲き誇る。
最後に柳が空を一面覆い尽くし、電車もビルの多い場所に入っていった。
乗客が三々五々、それぞれの空間に戻る中で、彼女はいつまでも窓を見つめる。
先見た花火の余韻を名残惜しむかのように。
僕は彼女き気取られないよう、細心の注意を払いながら、窓に映った彼女を盗んでみていた。
トクリトクリと、鼓動が早まる。
一つ深く息を吐き出すと、僕はきゅっと目を瞑った。
瞼を開けて、明るすぎる車内を見渡し、彼女に視線を止める。
彼女はまだ、窓の外を見つめる。景色が東京のビル群になっても、まるでそれが星空であるかのように、見とれていて。
「綺麗でしたね」
え…、と彼女は恐る恐る僕を見た。
それは、見ず知らずの男に話しかけられたことに対して怖がっている、というよりも、まさか自分に話しかける人がいるなんて、という「恐る恐る」であることは、返事に時間を要したことと、一瞬周囲を確かめたことで、彼女の心情を酌み取られる。
僕は心がけて、微笑む。
彼女に怖がられないように。不審に思われないように。
「花火、綺麗でしたね」
ニコリと笑えば、彼女は「あ、はい」と頬を赤く染めて見せた。
容姿は十人人並み。でも笑った笑顔は可愛くて、読書が好きで、甘い恋の話が苦手な彼女。
「運が、よかったみたいですね」
と彼女は窓の外に顔を戻して、同意する。
聞き取りやすく、心地よいその声に、鼓動がうるさく飛び跳ねた。
電車がスピードを落としていく。
次の停車駅を車内の画面で確認して、僕は彼女にばれないように嘆息した。
残念。
僕の降りる駅だ。
これじゃあ、単なる不審者でしかない。
どうしよう。一歩先に進みたい。出来ることならば、彼女を、知りたい。
だからって、いきなり連絡先を教えてくれなんて言えないし、どうしたらいい。
「すみません、いきなり話しかけて。ではここで」
後腐れのないように、と僕は微笑んで話を切り上げる。
自分のヘタレ具合にもう泣きたいくらいだ。
折角話しかけることが出来たというのに、これじゃあ振り出しに戻るどころか、マイナス印象でしかない。
来週の月曜から、彼女の目の前には立てないだろう。
ああ、終わった。
「お気を付けて」そういって、鞄をとろうとしたその時、うっかりブレーキに煽られて、本を落としてしまった。
うわあ、なんてことだ。
不審者な上に、挙動不審だなんて、目も当てられない。
大丈夫ですか、と彼女は丁寧に本を拾ってくれる。
「すみません、ありがとうございます」
と受け取ろうとしたその瞬間。
彼女は、僕の本のページをパラパラとめくった。
「あの」
「あ、すみません、つい…」
彼女は慌てて僕に本を返す。
「あんまりにも見覚えがあるなと思ったら、私と同じ本を読まれていたようなので」
おずおず、と音を立てそうな動作で、彼女は布のブックカバーを丁寧にめくって僕に見せてくれる。
ああ、もう。その顔は反則だ。
彼女が頬を染めて、上目遣いなのはきっと無意識なのだろうけれど、頼むから僕以外の男にそんな顔をしないで欲しい。
折角の「穴場」な貴方にライバルが出来てしまう。
「あ、ほ、本当ですね。奇遇です」
僕は精一杯誤魔化して、笑ってみせる。
「図書館の魔女が出てくる辺りから、どんどん面白くなっていきますよね」
「中盤からはきっと、もっと、気に入ると思いますよ」
彼女はそういってはにかんだ。
「では、また」
そういって僕は軽く頭を下げて電車を降りる。
また、と言った時に彼女が首を傾げて居たけれど、さて、月曜日の朝はどうやって彼女に話しかけよう。
月曜日が待ち遠しいなんて、一体いつ以来だろうか。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

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