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もう一度、僕はあの日と同じセリフを彼女に言う。

2014年5月27

彼女に逢ったのは二年ぶりである。
「お久し振りですね」と声を掛ければ、「覚えていらっしゃいますか」と彼女はわざわざ僕に振り向いて見せる。
その細やかさは二年前から変わらず、むしろ、二年分だけ重ねたようで、どこかくすぐったい。
「妹さんにメッセージ託したのですが、こうもふいにされるんです。忘れられませんよ」
「すみません」
僕の軽口に彼女は会釈する。苦く笑うその顔を鏡越しに覗き込んで、「いえいえ」と返すと、さあ、どうしましょうかと彼女の洗いさらした髪を手に取った。
少し痛んだ毛先。
でも、トリートメント欠かしていないみたいだし、ドライヤーでくまなく乾かしているようで。
ああ、進言を守っていてくれたのだと、心の奥がぽっと暖かくなった。
二年越しの彼女の注文は恐らく、
「ショートカットで」
かしこまりました、と僕は苦笑する。
そうして、流行の髪型に疎い彼女のために、待ち時間に予め渡しておいた雑誌から選んで貰った髪型を確認する。僕は背中の半ばまで延びた彼女の髪を、惜しむようにもう一度指の先で遊んだ。
勿体ないけれど、それが目の前の女性の願いならば、最大限に叶えるのが僕の職責。
お願いしますと丁寧に頭を下げた彼女に、僕はクリップで表面の髪をあげた。
彼女が初めて僕の店を訪れたのは五年前。
そのときは妹さんと一緒に来て、二人ともショートカットにした。
髪型をショートカットで固定している妹さんとは異なり、彼女はその時も長い髪をショートカットにしてくれと注文したのである。
当時の彼女の髪は、大変申し訳ないけれど、控えめに言っても「結構」ひどかった。
大切にする気は全くないようで、洗いざらしは当たり前。タオルドライでちゃんと乾かさず、ブローもあまりしていないことは一目でわかった。
帰宅してから翌日仕事に出掛けるまで六時間しかないと苦笑して、それでも僕の忠告に耳を貸そうとする彼女はどこか迷惑そうで。
こちらとしても、それは個人の自由だし、強く言えない部分があるので引き下がるしかない。
片や妹さんと言えば、ショートカットの髪型を維持するためにこまめに美容院に通うタチらしく、強めの癖っ毛からか、髪の手入れに余念がないようで。
そんな妹さんは学校を卒業し、彼女の元を離れ、都内に移住してからも片道二時間掛けてわざわざ僕の美容室まで通ってくれる。
ヘアモデルを頼んでいた縁もあり、この五年の間で妹さんの髪を切ったのは二十回を越えるが、くだんの彼女の来店はこれが三回目だった。
しかも前回来た二年前の時は、ご友人の結婚式に出るための着物の着付けとヘアセットだったから、純粋に髪を切るという目的での来訪は二回目である。
都内で中々ショートカットを上手くやってくれるところが見つからず、結局こちらにお世話になってしまう、という妹さんの最上級の褒め言葉を聞きながら、僕は毎度、それとなく「お姉さんももう少しこまめに切り来てくれると嬉しいんだけどな」というのだが、どうにもご本人には響かないようだ。妹さんも妹さんで「伝えてはいるんですけどね」と整った顔を苦笑にとどめる。
そんな彼女が、やっと来店してくれたかと思えば、長く伸ばしきった髪をショートカットにして下さい、なのだから、こちらとしても肩を落とすしかないのだ。
どうやら彼女の中での髪の毛とは、「延びたら切らなければいけない煩わしいもの」に分類されるらしい。
それでも、ちゃんとトリートメントして、ドライヤーで乾かしてとケアをしてくれただけ、五年前とは大違いである。
しかも前回の来店の際、随分と失礼な物言いをしてしまったのだから、むしろ来てくれたことが奇跡というか…。
はらりはらりと、彼女の長い髪が床に落ちていく。三十センチ以上切っているのだ。その量たるやあっと云う間に床が真っ黒くなる。
彼女は用意したファッション雑誌にあらかた目を通してしまったようで、持参した文庫本を開いていた。切った髪が挟まって嫌だからと自分の本を持ってくる人は存外に少ない。それでも、彼女は意に介さず文章を追い続ける。もしかしたら、面白い所で区切ってしまい後が気になるのかも知れない。
これ幸いと、僕は合法的に彼女の顔を見つめ、手元の髪を確認し、全体像を思い描きながらハサミを走らせた。
鏡の中の彼女は、涼やかな目元で文字を追い、ページをくくっていく。きゅっとしぼった口元は、笑ってみせれば可愛いのにそれすら拒むようでいて、胸が掴まれたように痛んだ。
『僕にとっては、貴女が一番、可愛いんです』
まるで昨日のことのように、彼女にいった自分の言葉が頭の中でリフレインする。
ヘアモデルさえもうっかり頼んでしまった美人な妹さんに比べると、確かに彼女は見劣りしてしまうかも知れない。
でも、彼女には彼女の可愛さがあって。
それを指摘した僕に、彼女は当然憤慨した。
怒らせた、しまったと思っても遅い。出た言葉は取り戻せない。不可逆の中に放り込まれる。
それでも、妹さんに嫉妬して、妹さんにコンプレックスを抱いて、自分はこれでいいのだと自らを貶める彼女がどうにも許せなかった。
僕なら彼女のことを、いくらでも可愛くしてあげられるかも知れないのに、彼女がそれを拒むから。
思い上がりでしかないけれど、彼女の良さを引き立たせる方法なんていくらだってあるというのに、彼女がそれを望まないから。
たった二年前、されど二年前。若かったなと苦笑してしまう。
僕の手で髪をセットし、メイクを施し、女性スタッフに着付けされた着物姿の彼女は、息を呑むほど美しかった。
綺麗だと囁いて、閉じこめて、誰にも見せたくなくなるほどに。
ほら、綺麗じゃないか。可愛いじゃないか。
そんな僕の視線から逃げるように、彼女は会計を済ませると簡素に礼の言葉を述べて、そそくさと立ち去る。
やってしまった。
きっと彼女は二度と、僕の店の敷居をまたいではくれないだろう。
だから、ダメ元で妹さんに言葉を託した。
「切りに来てほしい」
裏側に、「逢いたい」というメッセージを込めて。
その言葉の表面だけを受け取ったのか、それとも他の美容室を探すのが面倒だったのか、それでも彼女が予約の電話を入れてくれた時は、ほっとした反面、恐くて仕方なかった。
素っ気ない態度を取られたらどうしよう。
過去二回だけの来店で、こまやかな気遣いの出来る女性であることは重々承知しているから、他のスタッフの手前、そんな暴挙に出る人ではないと頭ではわかっていても、臆病になる。元凶は自分だというのに随分と勝手な話だ。
気付けば、鏡の中の彼女は本を閉じ、僕の手元を見つめていた。
真っ直ぐな視線に、鼓動が高く鳴り響く。
鏡の中で目が合ったが、彼女はそれを自然にかわした。凹む気持ちを隠しながら、僕は軽く笑ってみせる。
「嬉しいです、お姉さんがまた来てくれて」
彼女はほんの少しだけバツが悪そうに笑うと、どこを見る訳でもなく睫毛を下ろす。
「妹が、ショートカットを上手にやってくれる美容師さんはなかなかいないというものですから」
彼女達姉妹は、随分と僕の腕を高く買ってくれているようで。
「数年に一度しか切らないのですから、せっかくなら、素敵な方に担当して頂ければと思いまして」
どこか距離の開いてしまった話し方が、切ない。
「僕としては、また三ヶ月後に来てほしいところですよ。また伸ばすのなら、髪の様子を見ながら整えることも出来ますし」
この答えに、またしても彼女は苦笑する。
違う。
本当はそんな顔をして欲しい訳じゃない。
僕は言うべき言葉を失って、髪を切ることに専念した。
クリップで留めていた髪を下ろせば、先までショートカット擬きになっていた彼女が、以前の姿を取り戻す。
しかし、そこに容赦なくハサミを入れていくのだ。
雑誌上で指定された髪型に近づけながらも、彼女に似合うように、調整しながら。
ぱさりぱさりと、長い髪が床に落ちていく。
彼女の一部であったものが、喪われていく。
しかし、当人に迷いは微塵もなく、執着もない。
「前回は、」
唐突に彼女は口を開いた。
はいと返事をして鏡を見れば、彼女が、先よりもほんの少しだけ穏やかに、苦笑する。変な云い方だけど、それ以外に適当な表現が見当たらないのだから仕方ない。
「ありがとうございました。着付けもそうですけれど、メイクも髪の毛も、すごく綺麗にして頂いて、呼んでくれた友人がとても喜んでくれたんです」
「お着物の方は少ないですからね」
「私もそう思ったんですが、結構居て。私も含めて四人もいました」
それは果たして多いのか少ないのか、ちょっと判断が難しい。しかし、彼女としては自分一人だけ着物なのではという想定で出席したらしいから、多いという印象に天秤が傾くのだろう。
いいえ、仕事ですから、と言い掛けたのを止めたのは、続いた彼女の言葉だった。
「流石、『魔法の手』ですね」
そうして、ほんのりと頬を染めて、眉をハの字にして、僕を鏡越しに見つめる。
ああ、その顔は、反則だ。
可愛い。すっごく可愛い。
僕は朱の集まる頬を隠すように、ハサミをふるう。
前回の失態があるだけに、上手く切り返しが出来なくて、それでも頭の中で必死に返答を探した。
口の中がカラカラに乾いている。これ以上ないってくらいに、鼓動がうるさい。
それでも手元が狂わないのは、プロの端くれたる所以だ。
周囲のスタッフが見ていないことを確認して、僕はやっとのことで口を開く。
「なら、ご褒美頂いても、いいですか?」
「ご褒美、ですか?」
キョトンと首を傾げる彼女の了承を待たず、今まさに切ったばかりで短くなった彼女の髪の毛に唇を落とした。
ちゅっと、わざと音を発てて。
きっと傍目から見てもその動作は、髪の毛を確認しているようにしか映らないとは思う。
彼女の頬はみるみるうちに赤く染まり、その色は白かったはずの首にまで及んだ。
俯いてしまった彼女の耳が真っ赤で、どうしようもなく可愛い。
泣きそうに歪めた唇に、自分のそれを重ねてしまいたい衝動に駆られるが、理性を総動員して僕は押し留める。
「可愛いですね」
「可愛くないです」
それでも溢れて零れてしまった本音に、彼女は脊髄反射の如く言葉をかえした。
いつぞやの応酬に、僕は苦笑する。
「可愛いです。僕にとっては、貴女が一番可愛い」
もう一度、僕はあの日と同じセリフを彼女に言う。
男によくある軽挙でも気まぐれでもないと、念を押すように。
「やめてください」と俯く彼女を許さずに、僕は、前髪を整えるという名目で、前に回り込む。
彼女は更に顔を真っ赤にして、恥じるように怒るように眉間にしわを寄せた。そうして、視線を逃がす。
もしこれで僕に脈がなければ、いかな優しい彼女でもきっと他のスタッフを呼ぶだろう。それがないと言うことは恐らく後一押しさえあれば、陥落できる。
この自信は一体何処から来るのかわからないけれど、職業柄多くの女性を応対してきた自分だからこそ、予感めいたものがあった。
そんな風に言い聞かせたって、体内では鼓動が早鐘のように打っているのだから格好悪いことこの上ない。
「好きです」
掠れた言葉に、彼女は目を伏せる。
一か八か。
院内の騒がしさが、僕たちを包み込む。
黙りこくって、唇を噛み締める彼女を僕は正面から見つめた。
時間にすれば一分にも満たなかったであろう沈黙。しかし、先にこの緊張感に負けてしまったのは僕の方で。
再び彼女の背後に戻る。うなじの白さが、今は目に毒だ。
僕は彼女の耳元に唇を寄せた。
「お会計の時に、答えを貰ってもいいですか」
彼女は僅かに逡巡すると、丁寧に振り返る。潤んだ瞳で僕を見つめて、こくりと首肯してみせた。
だから、その顔、ヤバイんだってば。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

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