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彼女は心底申し訳なさそうに来店した。

2014年5月27日

すれ違えば十人中九人の男は振り向くだろう。
そんなご友人を伴って、彼女は心底申し訳なさそうに来店した。
ご友人はいくつか新作の服を迷わずに見繕うと、試着してくるねと扉の向こうに消えていく。
ああ、うん。と彼女は綺麗な笑顔で見送り、並んだ服を一瞥した。
店内はそこまで混んでいるという訳でもないが、下はハイティーンから上はマダムまで、さらに子供服と男性服も併設しているために往来が絶えない。加えて土曜日ともあってか、ベビーカー連れのご一家が複数組店内を物色している。
そんな他の客の迷惑にならないようにと、ゆったりと店内を歩きながらも周囲に目を配りつつ、道を譲り続ける彼女は、かなり所在なさそうで。
先の笑顔で、ご友人に無理に付き合っているという感じはないようではあるが、自分が服を選ぶ訳でもない店で時間を潰すというのは、中々に難業苦行なのだろう。
マネキンを見て、傍の服を眺めては申し訳程度に、ディスプレイしたバッグや靴を眺めていた。
商品にむやみに触れようとしないその所作はそれでも優雅で。
けれど、どこかおどおどとした雰囲気があるのだ。
彼女の上半身をすっぽりと覆った夏用の真っ黒なストールは、まるで彼女を守る甲冑のよう。
ストールの中に手を隠し、絶対に服に触れることはない。店のあちらこちらに立ててある鏡に極力映らないようにと配慮して通路を選び、それでも、行く手にベビーカーやら、通行困難な状態で客がいてやむなく鏡の前を通らなければならないときは、俯いて足早に過ぎていく。
控えめだというのにやたらと真っ直ぐとした姿勢のよい背中。美しい足の運び。
それが、目を惹いた。
当方ブランドでは、やたらとお客様に対して話しかけないという教育がなされている。
話しかけて欲しそうなお客様は、店員をそれとなく探しているからその方々に瞬時に対応するのが、手前流だ。
何かお探しのようであれば、それとなく聞く。けれど、引き際は間違えない。どんなに丁寧なしゃべり方をする人でも声の温度にその程度は出る。そこを見極めてご相談に乗るか、爽やかに微笑んで「何かございましたらおっしゃって下さい」と立ち去るかは個々の判断に任せる、といいつつも「決して間違えるな」という本音の裏返しである。
やたらと周囲に気を配る所作の美しいその女性は、店内に複数いる店員達の死角を狙っていた。
あからさまな「放っておいて欲しい」サインである。
本当ならば、話しかけたくて仕方ない気持ちを腹の底でぐっと押さえ込み、僕は店員を探しているというそぶりをちらりと見せたお客様の対応に入った。
「どうかな」
試着室の扉が開いて、くだんの女性のご友人、ご登場である。
「可愛い!すごく似合ってるよ」
スレンダーなご友人に、セクシーな新作の服はよくお似合いで。
真っ黒なストールの彼女は、瞳を輝かせてはしゃぐ。
ああ、あんな顔も出来るんだ。
先程店内で服を見ていた時の目からは彷彿できないくらいに、その笑顔は綺麗で。
「買っちゃおうかな…。あ、悪いけど入り口のTシャツ持ってきて貰っていい?あれも試したい」
「うん、待ってて」
うきうきという言葉が身から溢れるくらいに、彼女は、先程ご友人がほんの一瞬だけ迷っていたTシャツを手に取ると、一直線に試着室に向かう。
ありがとう、とご友人が再び扉の奥に消えていくと、彼女はううん、と笑って見せた。
彼女の服装と言えば、端的に言うと飾り気がまったくない。
シンプルな服が好きなのかも知れないとも思ったが、こうしてご友人を待っている間にも、彼女はいくつかの服の前で立ち止まっている。
それはいわゆる「可愛い系」と呼ばれる洋服の前で、今は、前開きボタンを上から下まであしらった、小花柄のスリーウェイワンピースを見つめていた。
きっと似合う。
いや、絶対似合う。
自社ブランドだから、という訳ではないけれど僕としては彼女に是非ともオススメしたい所存。
しかし彼女は手にすらとらずに、ほんの少しだけ微笑んで、別の場所に移動する。
目の前のお客様の「これ、お会計お願いね」という言葉に半ば事務的に、しかし的確に笑顔で対応しながらも僕は目の端で彼女を追った。
平日の決まった時間帯、彼女は必ず当店の前を通る。
大体朝の九時くらいなのだけれど、その時はちょうどこちらも開店準備中で、フロアーの掃除をしている頃なのだ。
彼女は、ショーケースの中のマネキンを一瞥し、先を急ぐ。
服装は決まってオフィスカジュアルスタイルだから、きっと会社がご近所なのだろう。
そんなある日、彼女は、ふと一つのマネキンの前で足を止めた。
学生にも、三十代にも見える彼女。
はっきり言ってしまえばそこまで容姿は整っていない。しかし、どちらかと言えば丸顔なその顔に柔和な笑みを浮かべているから、幼くも見えるし、落ち着いた大人の女性にも見えてしまう。
率直に言えば、彼女の優しい笑顔に心奪われて、少し気になる存在にはなっていたのだけれど、好意を自覚してしまったのは、あの時だった。
なんの変哲もないマネキンだった。
しかし、シンプルな服を身に纏う彼女とは対照的に、女性の可愛らしさを全面的に押し出したその姿は、媚びている訳では決してないのだけれど、男女両方に受けが良いだろう。
実はそのマネキンを着付けたのは僕で、とても下世話な話だけれど、毎朝見かける彼女が着たら絶対似合うであろう、いや、というよりもむしろ、彼女に着て欲しいという願望を込めてコーディネートしたものである。
我が事ながら大変気持ち悪い。
そんなマネキンの前に、彼女が立っていた。
通りすがりに店を覗くことはあっても、立ち止まることのなかった彼女が、足を止めたのである。
たまたまその姿を店内から見てしまった僕は、全身に電流が走った。
もしもこの洋服を気に入って、彼女が買ってくれるようなことがあればいいのに。そんなしょうもないことまで夢想した僕である。
けれども彼女は、少しだけ微笑んで、その場から立ち去った。
そう。先程のスリーウェイワンピースから離れた時と同じように。
諦めたように苦く笑って、その場を後にしたのである。
絶対に、似合う。
そう思っていたから、衝撃的だった。
来店してもらえたなら、絶対に薦めよう。彼女に着て貰おう。いや、何が何でも着て貰いたい。
なんせ自信作だったから。
マネキンが着ていた服は、セール品になるよりもずっと前に、売り切れてしまった。
彼女にその服を着て貰いたいという願望は、あっさりと打ち砕かれたのである。
どうしたら彼女に、僕がコーディネートした服を着て貰えるだろう。
僕の一方的な攻防はその後、今日の彼女の来店に至るまで、実に半年に及ぶ。
それまでに彼女がマネキンの前で足を止めた回数は、数えることをやめたほどだった。そのくらい、僕のコーディネートは彼女に確実に響いていたというのに、彼女がこの店に立ち寄ることは今日まで一度もなくて。
だから、来店頂いた時は千載一遇のチャンスだと思った。
というのに、僕の選んだ服を着て貰う画策をしようとした矢先の反応が、強い拒絶である。
物腰柔らかく、それでも確実に店員を避ける彼女に、近付くことが出来る訳がない。
本当ならば話しかけたい。あわよくば、僕の選んだ服を着た姿を見せて欲しい。いいや、その先だって。
って、仕事中に何を考えているんだか。
会計を済ませたお客様を見送るために、店の外までキャリーバッグを持って出た僕は、見送りの後、回れ右をして鼓動が飛び跳ねる。
目の前に、商品と睨めっこをしている彼女がそこにいた。
そのすぐ傍には、彼女に着て欲しくて服をまとわせたマネキンが立っていた。
マネキンと服を見比べて、それでも強情に手を伸ばさない彼女は目の端で僕を捕らえたのだろう。さりげなく、その場を立ち去ろうとする。
「あの…」
僕は、ルールを破った。
まさか自分が声を掛けられるはずがないと思ったのだろう。彼女はそっと後ろを向き、僕と目線が合って初めて、「はい」とニコリと笑ってみせる。
違う。
僕はあなたのそんな作り物めいた顔を見たい訳じゃない。
だというのに言葉はまったく出てこない。「お客様」を引き止めた癖に、こんなの店員として以前に人として最低だ。
「どうしました」と彼女は綺麗に笑って小首を傾げる。
「会社、お近くなんですか?」
最悪だ。
なんで、こんな言葉が出てきたんだろう。
彼女は、少しだけ眉を顰めると、ああと苦笑した。
「通勤路なんですもの、確かに毎日通ればお兄さんが気付いても仕方ありませんよね」
くすくすと穏やかに笑う彼女に、胸を撫で下ろす。
よかった。ストーカーだとかそういった類に思われないで、本当によかった。
「ついついマネキンさんの着ている服が可愛くて立ち止まっちゃうんです」
それ着付けているの僕ですと言えたなら、どれだけいいだろう。
僕は喉まで出掛かった言葉を押し戻して、ありがとうございますと折り目正しく一礼する。
「でしたら、着てみてはいかがでしょう」
するりと今度は止める暇なく出てしまった言葉に、彼女は「ええっ?」っと否定のニュアンスを僅かに滲ませて微笑んだ。
「きっと似合いますよ」
売りつけようとはしていません、という気持ちが伝わればいいのにと願いを込めて云った言葉を、社交辞令と受け取ったのか、彼女はいえいえと首を左右に振る。
「このような可愛い服、私には似合いませんよ」
そんなこと、絶対にない。
似合う。絶対に。
「そうでしょうか。お客様の柔らかい空気にお似合いですよ」
僕が笑ってみせると、彼女は、落とすように微笑んだ。
ああ、あの顔だ。
全てを諦めてしまったような、哀しい笑顔。
届かないものを見つめる、悲しい笑顔。
「ありがとうございます。お店の方にそうおっしゃって頂けただけでも、とても嬉しいです」
さらりと、かわされる。
ダメだ。
押しても引いても、ふわりとかわされてしまう。
正攻法ではきっと、彼女は絶対に着てくれない。自分にはこれが似合うのだと、飾り気のない服を着て、新たなことに挑戦する前に諦めてしまう。
誤解しないで欲しいのは、今着ている服でだって、彼女は十二分に魅力的だと言うこと。それでも、僕の選んだ服を着て欲しいというのはきっと、どうしようもない欲だ。
独占欲だとか、そんなしょうもない感情なのだ。
自分の色に染めてしまいたい。あわよくば、彼女の隣にいたい。
そんなどうしようもない、「欲」。
ここで「そうですか。何かあればおっしゃってください」というのは簡単。いやむしろ、それが当ブランドに於ける正解。しかし、そうしたらきっと、二度と彼女と会えなくなってしまうようなそんな気がして。
同じ「会えなくなってしまう」結果に甘んじるならば、当たって砕けた方が幾ばくかマシと言うものだろう。
「なら」
僕は、声の震えをどうにか殺して、口を開いた。
「どうか、僕にコーディネートさせてください」
そら見たことか、彼女が綺麗な笑顔で困ってる。
「きっと気に入って下さるはずです」
だって、僕が着付けたマネキンを見る時の貴方はとても楽しそうだったのだから。
いってしまいたい。
貴方に届けと、この半年間ずっと、マネキンに服を着せてきたのだと。
「でも、このような可愛らしい服を着るなんて、洋服に申し訳なくて」
そういって彼女は、黒いストールを手繰り寄せる。
身を守るように。いや、実際そうなのだろう。
僕だって、ショップ店員にこのように迫られたらきっと、困る。
「そんなことありません。それに、着るだけならタダですから!」
慌てて付け足した言葉に、彼女はくすりと笑って見せた。
先までの、一線を隔てたような表情は何処にもない。そこには、いつもショーウインドー越しに見ていた、笑顔の彼女がいた。
更に笑いは少しだけ彼女の身体を震わせる。周りに人がいるから、簡単に声は出せないのだろう。だが、確実に笑いのツボだけは押せたようだ。
「お兄さん、変わってますね」
「そうですか?」
了承の言葉に、僕は、手早く服を集めていく。
その中には勿論、小花柄のスリーウェイワンピースも入れて。
「至って普通のショップ店員ですよ」
普通のショップ店員が、果たして半年もショーウインドーのマネキンを代打に、彼女と対峙するだろうか。
「そうですか?」
くつくつと彼女は未だ納まらぬ笑いを漏らして僕の後に続いた。

数分後、更衣室の扉を開けた彼女の姿に僕が悶絶したのは、言うまでもない。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

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2 thoughts on “彼女は心底申し訳なさそうに来店した。

  1. とてもとても面白かったです!!
    普段は、本や小説など読書はまったくしないのですしむしろ苦手な部類に入るのですが
    このお話はほんっとうに面白かったです!!心が踊ります!!

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