Here now
ホーム > セリフ・掛け合い > とある物書きの言い訳

とある物書きの言い訳

2014年4月3日

 
余命一ヶ月です、と宣告された。
身体の調子がおかしい、最近、妙に疲れる。
でもそんなことは現代社会に生きていれば、誰にだって起こりうることで。
それでも病院に行ったのは、四十度近い発熱が三日ほど続いたためである。
病名、というか、一ヶ月後には死因となるであろうものは、いわゆる癌で、我ながらなんてベタなと天を仰いだ。
全身に転移していて、手の施しようがない。なんで、こんなになるまで気付かなかったと医者に云われたけれど、今更そんなこと、と困惑してしまう。
僕の唯一の身内である妹にそのことを話せば、彼女は瞳に大粒の涙を溜めて、僕をきつく抱き締めた。
そうか、僕がいなくなれば、妹は天涯孤独になってしまうのか、そう思ってはじめて、頬に涙が伝ったのだから、僕の薄情さは死んでも治りそうもない。
医療機関に勤める妹曰く、余命宣告と云うものは、最低最悪の事態を想定したものらしい。
よって、余命一ヶ月の宣告を受けてから数年生きたと云う実例もあるのだと云う。
確かに、長めに見積もって、一ヶ月で死んだ時には、苦情どころの話ではなかろう。
でも人間なんて単純だから、後一ヶ月の命だと思った瞬間、弱くなっていく。そして、日を指折り数えて死んでしまう。
果たしてどちらが良いのかは、永久的な命題なのかも知れない。
そうか、後一ヶ月か、と思ったら急に熱が下がった。病は気からなんて云うけれど、僕の身体はあまりに現金なんじゃなかろうか。
なんにせよ、後一ヶ月の命ならば、僕は一秒たりとも無駄には出来ない。
だからと云って一ヶ月以上生きてやろうとも思えない。
むしろ、こんなことを云っては、生きたいと願って死んでいった人には大変失礼だけれど、この先、いつ死ぬとも知れず、ちんたら何十年も生きなければならないくらいのなら、命の消費期限を決めて貰った方が、ずっと生きやすい。
一ヶ月後の僕はもっと生きたいと鼻水たらしながら云うかも知れないけれど、知ったこっちゃない。
残りの一ヶ月、さて、何を成そうか。
熱が下がってから、部屋の片付けをしつつ、僕はそれを思った。

***

必要最低限の生活用品と特に気に入った物以外、全て処分した僕の部屋は案外と広い。
大量の本や綺麗なままの資料、趣味のCDやDVDはすべて、リサイクルショップの人に来て貰い、金に変えた。
本棚やベッド、テーブルなどの家具も例外ではない。
二度と着ることのない長袖の服も売れるものは全て売った。
売れなかったものや、僕にとっては大事でも、他人から見ればガラクタ同然のものに関しては、ゴミ袋に入れていく。廃品回収に回せるものは、回す。
そうして僕の手元に残った日用品以外のものと云えば、初めて買った、ピアノ曲集のCDと商売道具であるノートパソコンと周辺機器、広辞苑と電子辞書、そして妹から貰った物くらいだ。
ついでに、ウェブ上で登録していた各種サービスからも退会しておく。
本やCDに関しては、妹や、僕の数少ない友人達に譲ることも出来ただろうけれどしなかった。少しでも、葬式代の足しになればとも思ったのは確かだけれど、本当の理由は別にある。
死者の遺物など、お荷物でしかない。
いざ不要になったとき、きっと捨て難いだろうし。
死後も迷惑なんて掛けるつもりない。
後はお世話になっている編集者さんをはじめ、色々な出版社さんに挨拶に行くのが筋だろうけど、それすら惜しいと思ってしまうのは、未完の物語があるからに他ならない。
そう。
ほんの駆け出しではあるけれど、いわゆる作家として生計を立てているのだ。
サラリーマン時代に通勤電車の中で携帯電話のメールボックスに書きためたものを賞金が欲しいが為に色んな賞に応募していたところ、そのうちのいくつかが運良く「当たってしまい」、初めて出した本がハードカバーから文庫になる頃には会社を辞めてしまった。
ありがたいことに僕の書く文章を好きになってくれた人はそれなりにいたようで。
有川浩さんは呼吸するように文を書くと云っていた。石田衣良さんは時には捻(ひね)り出すと云ったような気がする。
僕としては、自分を削ることのようだと思っていた。
少しずつ少しずつ、自分を削り取って、文章の中に散りばめる。
辛い時ほど、筆が進む、ならぬ、キーボードの上で指が快活に動いた。
今こんなこと書くと笑っちゃうけれど、死にたくなるほど辛かった時も、コピー用紙の裏にびっしりと思いのたけをぶちまけていた。
泣きながら紙にかじりつく僕の姿はさぞや滑稽なものだろう。
けれど、深い悲しみを、大きな辛さを軽減する為に僕の持つすべは、それしかなかった。
さて、余命一ヶ月と云われたけれど、今の僕はそれほど辛くない。「締め切り」なんてものは物書きにとって必要不可欠だから、なんて格好付けるつもりはないけれど、多分実際は、どんなに身辺整理をしたところで、実感が湧いていないのだと思う。
まだ指だって動くし、精神状態も悪くない。たまに身体はずきずきと痛むけれど、アドレナリンだかなんだかが分泌しているのかも知れない、すごく元気なのだ。
終わらせなければならない物語があるのだから、悲観にくれて、立ち止まっている場合ではない。
そんな気持ちが僕を元気にさせているなら、なんて皮肉だろう。普段、締め切り前にはグロッキーになってしまうのに。
死ぬ気になれば、と云うのは云い得て妙で、本当に人間と云うものは、単純なんだなと僕は深く息を落とした。

さて、泣いても笑ってもあと一ヶ月、もない。
僕は一体何を遺せるだろう。
本当なら担当さんや出版社に報告すべきだろうけれど、僕は意図的にそれを後回しにした。
きっとそんなことを云った日には、養生しろだの入院しろだの無理するなだの云われてしまう。そんなことをして残りの時間を無駄になんか出来ない。未完の物語を遺して逝っては、死んでも死にきれない。
だから、ギリギリまで黙っていようと思った。
あとはなんだろう。
ファンレターに返事を返したいけれど、そんなことして、以下同文。
話の骨組みとなる、箱書き、プロットと云えば聞こえは良いだろうか、を終え、意外と少しばかり時間に余裕があることを知った僕は、他に何か自分が生きた証を残せないだろうかと考えた。
小説家と云っても、物書きと言っても、僕なんて本当にその端くれで、輝かしい賞に輝いたこともなければ、映像化されたことがある訳でもない。
三十人に好きな作家を五人挙げてくれといった場合、そのうちの一人の、五番目に入っていればいい方じゃないかって思ってる。
きっと僕が死んで十年後には、僕がこうして本を書いていたことなんて、誰も覚えてやしないだろう。
それでもいいかなって思っていた。
文章を書くことが出来ていれば、それでいいと。
でも、それじゃ足りない。
後がないと知った今、欲が出てきたのかも知れない。
誰かの心に刻みつけるような、そんな文章が書けたのなら。
本が好きな人たちのマーケットはたかが知れているし、本が売れ悩む現在の出版業界に置いて、一定量しかいない「顧客」達の取り合いなどしても不毛だ。
ならば、そうだな。
普段、本を読まない人たちをターゲットにするのは、どうだろう。
そこまで考えて、行き詰まる。
何云ってんの、僕は。
本を読まない人が、文章を読むだろうか。
わざわざ読んで下さいと云って、素直に読むものか。
何か、人を惹き付けられる、何かがないだろうか。
苦しい。
のど元までヒントが出かかっているにも関わらず、答えがなかなか見えてこない。
そういえば、映像化した作品は、原作が売れる。
いや、元々人気のあった作品を映像化しているのだから、ファンからすれば、ずっと前から好きだったし!と叫びたくなるだろうけれど。
ならば、僕の書いた文章を、映像化…はかなり無理だろうから、せめて音声化することは出来ないだろうか。
ニコニコ動画やyoutubeなどで、一般の人たちが自分の作った作品や、歌った声、はたまた、作った曲などを発表し、それに対して根強いファン層があるのならば、アマチュアによるボイスドラマという分野だってあるだろう。
僕が物語を書いて、誰かに演じて貰うのはどうだろう…。
いや、無理だ。
そうしたら、きっと、僕が音声を編集することになるだろうし、第一そんな時間なんか無い。
もっと手っ取り早く、僕の文章を気に入ってくれて、それを読んでくれる人はいないだろうか。
そんな願いを込めて、検索サイトに単語を打ち込む。
「文章の音声化 朗読 人の声」…ダメだ。音声合成ソフトしか出てこない。
「ボイスドラマ」と打った時点で、キャスト募集と検索予測に出てくるのだから、恐れ入る。きっと、プロの演者ではなくアマチュアなのだろう。
だとしたら、そんなアマチュア演者達が集うコミューンというか、コミュニティが存在してもいいはずだ。そう、それこそ、ニコニコ動画やyoutubeに人が集まるように。
「アマチュア 声」…ネット声優というものを見つけたけどちょっと違う。
もう少し、一般的に取っつきやすいモノがいい。それに、誰かに見て貰う為に、自分のサイトを立ち上げることだって、面倒だ。
誰もが気軽に参加できて、僕の文章を読んでくれて、更にそれを聴いた人たちが、物語を心に刻んでくれる場所。
こんな一介のしがない小説家の僕にだってこんなこと思いつくんだから、きっと、世の中の偉い人は、それを実現しているはず。
「声」の後に、「投稿」とまで書いたその時、検索予測に「投稿サイト」の文字が躍る。
これかも知れない。
エンターキーを気持ち強く叩くと、トップリンクに、「こえであそぶ」と踊り文句をつけた「こえ部」という投稿サイトに当たった。
これだ!
早速リンクを辿ってみると、賑やかなTOPページに入る。
なるほど、企業はもちろん、一般ユーザーが投稿した「お題」に、「部員」と呼ばれるユーザー達が各々好きなように「音」を投稿できる仕組み、なのか。
もちろん、「お題」には、歌や、掛け合い台本、朗読、詩など様々な種類があって、その数がなんというか、もう、もの凄い。
玉石混合だろうけれど、誰もが表現者になれるだなんて、時代は変わったんだなってしみじみと思う。
注目のお題を見てみると、何となくだけれど、朗読が多い気がする。
あとは、相手が居ることを想定して、一人で喋る、一人芝居台本。
注目お題にはなれるなんて思わないし、そんな身の程知らずじゃないけれど、試しにそれぞれのお題に投稿した声を聴いてみると、まあ、出来不出来は置いておいて、みんなとても楽しそうだった。
きっと、お題を作るのもそうだけれど、無数にあるお題の中から、好きなものを見つけて、それに投稿するって結構体力が必要だと思う。
うん、これは、やっぱりやってみたい。
ニコニコ動画でもyoutubeでも、僕は視聴者側の人間だったけれど、この「こえ部」なら、僕だって当事者になれる。
何より、誰かに僕の文章を好きになって貰った上に、それが音声化されるのだ。こんなに面白そうな事って無い。
早まる胸を押さえて、僕は会員登録ページへと進む。
結果を云ってしまえば、僕はお題を作ることにどっぷりと嵌っていった。

自分の物語を書きながら、こえ部でお題を作って、二週目も半ば。つまり、僕自身の賞味期限も迫ってきているこのごろ、息抜きと称して、自分のお題に投稿してくれた声を聴くのが僕の楽しみになっていった。
何人か、僕を気に入って、お気に入り部員にしてくれる人もいたし、僕自身、演技や声が好きなヒトをどんどんお気に入りリストに入れている。
この、お題作り、というのは、僕の性にとても合っていたみたいで、今まで、商業小説では書いてこなかったベタな設定のベタな展開を書くことに、すっかり夢中になっていた。
いやいや、ちゃんと仕事もしてますよ。
自分の好きなことを、制限されることなく、好きなようにやっていいというのは、本当に楽で。
今まで小説に入れてこなかった小ネタや、小説になり損ねたネタ、短すぎて担当に相手にされなかった小話や、僕自身の胸中の吐露をちょっとしたセリフに直して投稿するというのは、なんとも言えない快感なのである。
オンとオフの切り替えがあるからだろうか、いつも以上に筆、もといタイピングはすすみ、商業用の小説も悩むことなく佳境を迎えている。
僕の話の書き方は大抵、終わりか始まりのエピソードが頭に駆け巡る。
それを丁寧に骨組みにして、ちゃんと道筋を作って、時には寄り道をしながら話を作っていく。
今回、というか、遺作となるであろうこの話は、最後の場面がどうしても書きたくて書き始めた物語。
「終わらせよう」と決めた瞬間、自然と指が動いていた。
さてさて、こえ部のお題だけれど、物書きの癖、なんて云ったら何を偉そうにと云われるだろうが、どうしても物語性と起承転結を作ってしまうが為に、僕のお題は長文に分類されるらしい。
一度、投稿して頂いた声が五分を越えてしまって、心底申し訳ない気持ちになった。
一応、自分でも声に出してみて、云いにくい言葉がないか、音で聴いて誤解を生まないか、など考えながら音読しているけれど、流石に時間までは計っていなかった。
そんな長い時間、一人で語って下さる皆さんには心底頭が下がる。僕のお題に挑戦する人は、実力者かドMかに二分されるのかも知れない。
そんなこともあって、僕のお題に投稿して下さる人は少ない。二桁にも届かない。その代わり、僕の文章を気に入ってくれた人はどうやら癖になるらしく、リピーターは多い。
まあ、なんと、僕らしい。
ヒットを飛ばさず、マニアックな読者が付く。
ここでも変わらないんだなって思うと、感慨深い。
直接的に感想を貰えることはほぼほぼないけれど、投稿して頂いた方のコメントや、その声へのコメントを見ると、「癒された」「ほっこりした」「ちょ、切ない!」などと、感想を貰えると、書いて良かったと思える。
本とあまり接しない人にも、僕の文章は受け入れて貰えるらしい。
しまった、本当に楽しい。
今まで、文章を書くことを苦しいと思ったことは少ないけれど、ここまで楽しいと思ったことも、そこまでない。
こえ部のお題に書くんだ、と思った瞬間、肩の力がふっと抜けて、書きたいものが次から次へと湧き上がる水の如く溢れてくるのだ。
書きたいことが沢山ある。
伝えたい想いがまだまだある。
届け、届け、届けと願いながら、祈りながら、キーボードを叩いた。
たった一人だって構わない。
誰かが僕の心を受け取ってくれるように。
そこで、不幸にも僕の記憶は途切れる。

ツンとするようなその匂いに、眉間にしわが寄る。
ああ、僕の嫌いな匂いだ…。
瞼をこじ開け、映った景色は、白くて、どこまでも白い天井だ。
ああ、嫌な、色。
「お兄ちゃん…」
そうして僕の顔を覗き込んだ妹は、怒ったような顔で泣いている。大粒の涙が僕の頬に落ちて、妹は慌ただしく病室から出て行った。
ナースコール、あるのに…、絶対存在忘れてる。
僕はやはり病院側としてみれば、それなりに重篤患者であるらしく、部屋の中に僕以外のベッドはなく、いわゆる個室だった。
ああ、葬式の前にそんなにお金払う必要ないだろうに、一体何泊してしまったのだろう。
そんなことを考えていると、妹と一緒に、お医者さんや看護師さんが部屋に入ってくる。
脈を診たり、聴診器を当てたりとせわしない。
あと二週もすれば死んでしまう人間に、なんて親切なんだろう。
彼らが一所懸命になればなるほど本当に不謹慎だけれど、どうにも滑稽に思えてしまって、思わず顔がにやけてしまう。
そんな僕を目敏く見つけた妹が、「お兄ちゃん!」と鋭く叱咤した。
結果的に、僕は担当医さんにこってり絞られ、頑張るのはいいけれどほどほどにと耳にたこができるほど繰り返され、点滴によりこれでもかというくらい栄養を血液に流し込まれ、次の日には退院した。
引き留められなかったことに心底ほっとしたけれど、きっと今は、尊厳死とかそんなことがうるさいんだろう。
実際うるさいのは病院側ではなく、妹だった。
退院するといった途端、泣いて泣いて泣いて、お願いだから命を縮めないでくれと、病室で大騒ぎされた。
誰か、このバカ兄貴を止めてくれ、と。
でも、ダメなんだよ。
僕は腐っても端くれでも、ボロボロでも文章書きだからさ、最後の最後まで文章書いてないと心が折れてしまうんだ。
そう、本当は恐くて堪らない。
日に日に動きの悪くなっていく指、霞む目、途切れる意識。
どんどんと眠たくなる時間が増えていく。
骨が悲鳴を上げ、足がむくんで立ち上がれなくなる。
食べ物なんて喉を通らなくて、喉が大きく腫れて、水を飲むことすら億劫で、一日中氷を口に含んでいたこともある。
それでも、歯を食い縛ってこうやって文章を綴り続けて居られるのは、それが、僕にしかできないことだから。
僕にしか作れない物語があるから。
僕の頭の中を全てタイピングするまでは、死ねない。
癌なんかに僕を殺させやしない。
僕を突き動かすのは、ただ、それだけだった。
悔しい。
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい。
どうして僕だった。なんでもっと早く病気を見つけられなかった。
もっと書きたい話は沢山あったのに、一ヶ月なんて、あと、十日あまりなんて、短すぎる。
追いすがる妹を振り切って、僕は家にこもった。
あと少しでたった一人の肉親と二度と会えなくなってしまうと言うのに、それでも僕は妹に優しくなんてしてあげられなかった。
どうしても、今日だけは一人でパソコンに向かいたかった。
四日間の遅れを、取り戻さなければ。
これから指が動かなくなるというなら、尚更。
完成させなければ、僕の物語を。

***

「原稿、確かに受け取りました」
目を腫らした担当者は、そういって深々と頭を下げた。
頭を下げたいのは、私だというのに。
あろうことか兄は、散々お世話になった担当さんにすら自分の病気を話していなかったらしい。
そこは、会社に働いたことのある人間として、最低限の礼儀を守りなさいよと、墓に砂でも掛けてやりたくなる。
原稿と云っても、担当さんの手の中にあるのは、たった一つのUSB。
その中には連載中だった作品の完結原稿や、長年練っていた物語などがつまっているらしい。
本当なら、担当さんと一緒に削るべき場所を削ったり、説明の足りないところを補填したりと、本として、一つの商品として世に送り出す為にやらなきゃいけないことが沢山あるらしいけれど、作者が亡くなっていることを考慮し、また、遺作であるため、作者の遺志を尊重して、誤字以外は大幅な改正はされずほぼそのまま単行本となるらしい。
ここまで計算していたのなら、なんだか兄らしい気もする。
死人を悪く言える人なんか、兄の周りにいるわけないじゃない。
病院から自主退院したあの日、いや、もうあの日じゃないか。時計は午前0時を随分と廻っていた。
そんな真夜中に彼は泣きながら私に謝った。
ごめん、許してと。
何度も何度も繰り返し。
ああ、なんて。
なんて安っぽい、私たちの物語。
兄はよく云っていた、「人が死んで泣けるなんて当たり前だから、そんな陳腐な話を書くことなんかしない」と。
きっと、バカにしたから私たちにはバチが当たったんだ。
次の日から私は職場に有給を申請し、兄の看病をした。
病人扱いをするな、心が弱くなるというから、出来る限りのことは彼にやらせる。でも、放っておけば平気で食事や睡眠を削る人だったからその管理をさせて貰った。
できることなんて、限られていた。
残りの時間を指折り数えるようなことはせず、兄が兄らしく精一杯生きられるように。
好きなように、彼の大好きな物語が紡げるように。
兄は、文章を書くことは身を削るようだ、と云っていた。
それはかつての比喩ではあったけれど、本当に、身が削れてしまっているようで。
日に日に細くなる指に、何も出来ない自分に唇を噛み締める日々。
エルフは悲しみで死ぬという。
人はプラスの感情で長生きするという。
だから、少しでも兄に笑って貰えるように。
最後の三日間は、自力ではキーボードを打てなくなっていた。
それでも、兄の言葉の泉は枯渇しなかった。
極限の状態だからだろうか、彼の言葉は何よりも強く強く響く。
届け届け届けと。
自分の思いが誰かに届きますようにと、物語を紡ぐ。
こんなにも強い人だったのだと、彼の声を言葉を、キーボードに叩き付ける度に思い知らされる。
そうして、最後の瞬間、ほとんど声の出ない状態の兄が私を呼び、一言、「ありがとう」と云って、息を引き取った。
ありがとう。
物語を紡いでくれて、ありがとう。
私を貴方の妹で居させてくれて、ありがとう。
最後まで、傍にいさせてくれて、ありがとう。
どうか、兄の想いが、一人でも多くの人に響きますように。
血を吐きながら、泣きながらキーボードにかじり付いた貴方の物語が、一人でも構わない、誰かに愛されますように。
報われますように。
「あの、」
担当さんはおずおずと、私に声を掛ける。
蝉のけたたましい声が、耳に戻った。
「こえ部と云う単語と、とある物書きの言い訳という単語で、検索してみて下さい」
「ウェブ検索ですよね」
担当さんは、泣いた瞳で奇麗に笑ってみせる。
「妹さんに、お兄さんから手紙が届いているはずです」

兄の肉親は私しかいない。
よって、兄の所有物はマンションを除き、全て私が相続することになった。
今のところ、処分しきって少なくなりすぎてしまった彼の私物、きっとそのうち、少なくはない印税とかも私の通帳に振り込まれるのだろうけど、それはまた別の話。
当然、兄が今際の際にまで愛用していたノートパソコンも私のものとなる。
彼が亡くなって以来、触っていなかったノートパソコンを起動し、インターネットを開くと、云われた通り「こえ部」と「とある物書きの言い訳」を検索した。
なんだか良くわからないけど、賑やかなHPに辿りつく。
そこには、「とある物書きの言い訳」と言う題名と、晴れ渡った空の写真の飾られたページがあった。
下にスクロールしていくと、小さな文字が続いている。
私は、目で言葉を追った。

「大事な妹へ

結婚式に出たかった。
一緒にバージンロードを歩いて、新郎に君を渡す時、きっと僕は大泣きしただろうな。
君の子供を抱きしめたかった。
伯父さんだよって、抱きしめて、頭を撫でる。
家族の居なかった僕たちに家族が増えるんだから、きっと、目に入れてゴロゴロしても痛くないんだろうな。
お兄ちゃんも早く結婚しなさいと、きっといつまでも僕は怒られ続けるんだろう。

悪い人生ではなかったんだよ。
君を一人ぼっちにしてしまうことは本当に心苦しいけれど、悔いるのならば、本当にそれだけ。
僕は僕らしく、精一杯生きた。
出した本は大ヒットした訳じゃないし、新聞で紹介して貰えた訳じゃないけれど、僕は、この人生を愛おしく思える。
いい人生だったと、満足して生き抜いた。
だからどうか、嘆かないで欲しい。
僕はとても幸せだったから。
僕の妹として生まれてくれて、ありがとう。

またいつか、会おうね。

馬鹿な兄貴より」

ありがとう。
ありがとう。
蝉がうわんうわんと頭を押さえるように、なき濡れる。
そうか、幸せだったんだ。
なら、よかった。
投稿者のリンクを辿ると、いくつもの作品が「遺って」いた。
どの作品も、兄の面影をのこしながら、それでも、彼の言葉に触れた私ならわかる、精一杯この場所でも言葉を紡ぐことを楽しんでいたのだと。
マイページをみれば、BBSにはいくつものメッセージが書かれていた。
「更新止まってますけど、元気ですか」「心配です」「返事下さい」
なんだ、届いていたじゃない。
あんながむしゃらにならなくたって、兄の想いは届いていたじゃないの。
兄の作品を読んだ声が、蝉の鳴き声をかき消した。

とある物書きの言い訳
サムネイル 写真素材 足成 様  http://www.ashinari.com/

0

コメントを残す

Top