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ああ、俺の愛した人はもういない。

2015-04-14

 

最近、あの子のことを思い出さない日があるの。
彼女はそう云ってテーブルに頭を打ち付けた。
ごん、ごん、と鈍い音が規則的に部屋に響く。
あの子が生きていたことも、あの子が死んで行ったことも、あの子を殺す瞬間も、全部知ってるのは私だけなのに。
私だけが全部あの子のことを知ってるのに。
私だけはあの子を覚えていなきゃいけないのに。
ごん、ごん、ごんっ。
最後に一際大きな音を発てて額をぶつけると、そのまま動かなくなった。
気絶したらしい。
ああ、ダメだ。
もう限界だ。
どうすればよかった。
産ませてやればよかったのか。
一緒に育てようと云ってやればよかったのか。
俺の子を宿してくれてありがとうと云えばよかったのか。
「責任をとらなきゃいけないね」
子供が出来たと告げた彼女に返した俺の言葉。
その瞬間、彼女は子供を堕ろすことを決意したと云う。
望まれなかった子供は不幸だと。
三人で不幸になるのなら、人殺しの罪は全て引き受けるから、子供を殺そうと決めたと云う。
そうして一年経った今も、一年経った今だからこそ、彼女は罪に囚われていて。
ダメだ。
彼女の側に居たくない。
屈託笑う顔が好きだった。
明るい笑い声が好きだった。
暖かい手が好きだった。
彼女の全てが好きだった。
ああ、俺の愛した人はもういない。
「ありがとう。大好きだったよ」
額から出た血に濡れた前髪を優しく撫でて、俺は彼女の下から立ち去った。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

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