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貴方が好きだと言っていたら、僕たちの未来は、貴方の未来は変わっていただろうか。

2015-04-18

 

どうにも、負の感情を食で昇華する癖がある。
怒りも哀しみも苛立ちも、お腹にいっぱい詰め込んで、紛らわすのだ。
五年も付き合い、お互い結婚も視野にいれた頃、突然恋人に別れを告げられた。
曰く、好きな人が出来たと。これからは彼女のために生きたいと。
そうして出て行った男を追うなんて惨めなことも出来ず、三十越えた女にこれから幸せな未来が訪れるとも思えず、そこからの転落振りはものの見事で。
仕事人間となろうとした私の生活は、酷いもので。
ゴミは溜めず、洗濯もするけれど、しまうのが面倒で年がら年中部屋に洗濯物がぶら下がる。コタツの上に食べ物や飲み物を置いていなければ不安でいつ開けたのかもわからないようなポテチやコーラが広がっていた。
食べながらコタツで寝て、朝慌ててお風呂に入って仕事に出掛ける、そんな暮らし。
布団を干すのも、部屋を掃除するのも、食事を作るのも億劫で、買ったものを食い散らかす日々を繰り返し、一年が経ったころには、生活も肌も性格も荒れていた。
いいんだ。だって、誰にも迷惑掛けてない。
ちゃんとゴミは捨てに行くし、洗濯もしてる、お風呂も入って、外で仕事してる。
それ以外に使う体力も気力もなくなっていた。
その頃からだと思う。
やけに荷物が増えた。
醤油、酒、みりん、砂糖、塩、料理なんかしなくなった癖に、調味料を買い足してしまう。
あとは、冷凍庫がいつも満杯で、何がどのくらい入っているかもわからない。
ペットボトルやカップラーメンのダンボールで、壁は埋めつくされた。
保存食品はいくら買っても全然満足できなくて。
それなのに、生菓子を買っては消費する。
今日も、生クリームやスポンジやらで出来た塊を食べては吐き、吐いては食べてを午前三時まで繰り返し、コタツの中で目を閉じた。
ああ、今日も私は生きてしまった。
どうか、明日こそ目が覚めませんようにと、祈りながら。

* * *

初めて彼女を見かけた時は、綺麗な人だなって思った。
出勤時すれ違う僕に、少し照れ臭そうにおはようございますと会釈する。
現代社会では稀少な存在である。
でも、ある日を境に彼女は変わった。
おどおどと、肩に掛けたバックの持ち手をぎゅっと握り締め、下を向いて歩くようになった。
おはようございますと挨拶すると、尻すぼみに、蚊の鳴くような声で返事はあるのだが、逃げるように去ってしまう。
あと、帰宅時にたまに見かける彼女は、やたらと物を買い込むようになっていた。
毎日なんらかの食品を抱えて家路を進む。
大きな段ボールの日もあれば、ビニール袋に塩やら油やら醤油やらが入っている。
手に食い込むような重さにイライラしながら、彼女は帰路に着くのだ。
もうその頃には、最初に見かけた時の美しい彼女は何処にもいなかった。

貸している部屋で人が死んでしまった。
親族がなく、引き取り手もいない人だから、全て処分して欲しい、と云う依頼を受けたのは、それから暫く経ったことである。
おかしな匂いがするとマスターキーで開けた時には、住んでいた人間が亡くなって三日ほど経過していたらしい。
大家は中に入って愕然としたと云う。
食品と調味料の、山、山、山。
それらの重量物の下から、匂いの発生源が、見つかった。
ペットボトルの段ボールやら、醤油やら油やら砂糖やら、とにかく重たいものが雪崩を起こして、コタツで眠っていたその人の頭部に直撃し、圧死させたと云う。
筋肉の緩んだ身体から糞尿が漏れたのだろう、コタツの中は酷い有様だった。
亡くなった人は検死のあと火葬され、身寄りのなかった遺骨は、そのまま廃棄処分されたという。
彼女の遺品をトラックに詰め込む。
水周りは意外にも綺麗に使われていて、ゴミもちゃんと処分されているし、畳んで重ねたままだったり、吊るしたままだけど、洗濯はしていたらしい。
人に迷惑にならないレベルで生活していた癖に、食べ物はインスタント、レトルト、お菓子ばかりで、自分にはちっとも優しくない。調理器具は邪魔になったのか、ほとんど見かけなかった。
あるのは、ヤカンと電子レンジ。
食器でさえも、一つも出てこなかった。
なのに、調味料が沢山でてくる。
炊飯器がないのに、米が五十キロ近くも出てくる。
なんで、こんなになるまで、気づけなかったのだろう。
大量の食品の中から出てきたのは、電源を落としたままのフィーチャーフォン。
彼女の死を知らせられる人がいればと思い、電源を入れる。解約することさえも億劫だったのか、携帯代は払っていたらしい、何百件ものメールや不在着信通知が届いた。
彼女からの返信はと云えば、一年前で止まっている。
ああ、こういう仕事をしているのに、彼女の異変に気付いていたくせに、なんで自分は彼女に声をかけなかったのだろう。
赤の他人からはこのゴミ屋敷と揶揄されるこの部屋で、彼女は何を思ったのだろう。
家の中の物を全て撤去すると、虫の死骸や糞が随所にたまった畳が現れる。
畳も全部張り替えて、窓を開けたそこには、突き抜けるような初夏の空が広がっていた。
藺草(いぐさ)の匂いを吸い込んで、彼女が死んでいたであろう場所に、寝転ぶ。
所々、染みで黄色くなった天井が、彼女が最期に見た風景。
貴方が好きだと言っていたら、僕たちの未来は、貴方の未来は変わっていただろうか。
食料品の中から発掘した遺影に僕は問い掛けた。
かつて綺麗だと目を奪われた彼女は、眩しそうに瞳を細めて笑っている。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

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