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付き合い始めた頃、指輪が欲しいと彼女は言った。

2015-12-14

 

 付き合い始めた頃、指輪が欲しいと彼女は言った。
そんなもので感情を繋ぎ止めなくても、と反論した僕に、彼女はそっかとほんの少しだけ泣きそうな顔をして諦める。
彼女が僕に何かをねだったのは、あれが最初で最後になった。
それ以来、彼女は僕に何も、「欲しい」とは言わなかった。
誕生日プレゼントも、クリスマスプレゼントも、ホワイトデーも。
一緒に美味しいものが食べられれば幸せだと、実際、とても幸せそうにご飯を食べる。
それだけでは、と思って花や小物を上げると、花は枯れるのをみるのが辛いから、小物はあまりものを増やしたくないからと、大変遠回しに、気を遣った言い方で、丁重に固辞された。
ゆえに、紅茶や蜂蜜、スキンケア用品など、自分で買うにはやや躊躇う「消えもの」を彼女に贈ることが通例となったのである。
さて、今度のクリスマスはどうしよう。
ティーポットが欲しい、みたいなことをいっていたので、これ幸いと「欲しいものある?」と聞けば、とてもやんわりと「大丈夫だよ、一緒にご飯食べてくれればそれだけで幸せだよ」と定型文が返ってきた。
あの日から刺さったままのトゲが、チクリと痛む。
あの時、安物でもなんでもいいから、指輪の一つくらい買ってあげていたら、彼女は僕にちゃんと、欲しいものを言ってくれたのかもしれない。
大抵のものは、自分で買えるから大丈夫、なんてそんなしょうもないことを言わせずに済んだのかも知れない。
クリスマスが訪れる度に、僕は小さなトゲに悩まされる。
彼女はある日突然ぱったりと、連絡が取れなくなった。
指輪でも腕時計でもなんでもいいから、繋ぎとめておけば良かったと悔いても、もう遅い。
何度かクリスマスが過ぎ、僕の隣にいる女の子も何人か変わった頃、とても懐かしい名前がスマフォのディスプレイを飾る。
(彼女だ…!)
急いで電話をとると、彼女は変わらずやわらかな口調で言った。
もしも、今、恋人がいないのなら、買い物に付き合っては貰えないかな。
この女性から頼みごとをされるなんて、片手に収まるほどしかない。僕はちょうど恋人と呼べる存在がいなかったことにも背を押され、二つ返事で了承した。
曰く、薬指にはめる指輪が欲しい、とのこと。
別れたあと、彼女は職場を変えたらしく、男女比が八対二のその場では、恋人のいない女性というだけで、下世話な上司達が誰か男性を、と、はた迷惑にもくっつけさせようとするらしい。
いい加減辟易した彼女は、カモフラージュで指輪をはめることを決めたという。
誰かからの贈り物かと聞かれた時、さすがに、一人で店に行き、自分で買った指輪をするのは癪だから、せめて、選ぶことだけでも手伝って欲しい、と。
先に用件を言うべきだったね、ごめんね、と、二の句を継げない僕に、彼女は心底申し訳なさそうに謝る。
これは、その、…。
「あてつけとかそういうんじゃないの」
彼女が先回りして、声を落とした。
そういうのではなくて、ただ、一緒に選んでくれるのが、貴方だったらいいなって。
そんなことを、言うのだ。
結婚、してなくてよかったって喜ぶのはさすがに失礼だけど、嬉しい、なんて。控えめに言うのだ。
これは、チャンスなのかも知れない。
あの日をやり直すことができたらと、幾度となく後悔した僕への、最後のチャンスなのだろう。
じゃあ、土曜日、朝11時にね。
そういって、彼女は声を弾ませながら電話を切った。
やり直そう。
できなかったことを、全部。
本当はあげたくて仕方なかった、彼女への「本当のプレゼント」をあげよう。
あげられなかった数年分のプレゼントを全部あげよう。
そうして、指輪を、彼女の小さくて細い薬指にはめるのだ。

サムネイル 写真素材 足成 様 http://www.ashinari.com/

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