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冷たい雨に濡れそぼった彼女は、まるで捨て犬のようだった。

2016-03-10

 

冷たい雨に濡れそぼった彼女は、まるで捨て犬のようだった。
頭の先から足元まで、びしょ濡れの彼女を、道行く人は不気味に思ってか、避けていく。
3月の、春の遠い雨は刺さるように冷たく、時折吹く風はそれを増長したナイフのようだ。
それでも彼女は、佇む。
よくよく見れば、コートもマフラーも手袋もない。
室内であればちょうどよいだろう、カットソーの上に羽織った桜色のカーディガンも、膝よりほんの少しだけ上の丈の濃紺のスカートも、真っ黒なタイツも、こんな風雨の中では、寒すぎる。
カタカタと寒さに震えながら、それでも彼女は佇むのだ。
一心に、一棟のマンションを見上げて。
締め出し、DV。
そんな物騒な言葉が頭を一瞬掠め、無理矢理振り切った。このままでは、遅かれ早かれ、彼女が死んでしまう。
僕は彼女に傘を差し出した。
「風邪を、ひきますよ」
散々悩んで出た言葉がこれとは、なんと最早情けない。
全身を水で滴らせた彼女に、今さら傘なんて無用の長物でしかないのだが、それでも差し出さずにはいられないのは、雨に打たれるその姿があんまりにも悲劇的だったから。
単純に、見るに耐えなかった。
驚いたように僕を見上げたその人は、唇を紫色に変色させていて。
これでは、誇張でもなんでもなく、本当に死んでしまう。
コートを脱いで、着せようとしたその時で、ある。
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
いや、わからない。ただの雨かも知れない。
それでもそう見えたのは、彼女の目尻をその水滴が辿っていたから。
いや、否定してしまったのは、そんなことじゃなくて。
死人のような肌の色で、表情のない顔で、それでも寒さのために、生理的に身体を小刻みに震わせて、声もなく泣いているのだ。
とても、静かに。
ただただ、彼女の瞳は、涙を流すことだけが仕事であるかのように、泣くのだ。
何が、こんなにもこの人のことを追い詰めたのだろう。
堪らなくなり、僕は乱暴に彼女にコートを羽織らせる。
彼女は流れ落ちる涙を拭うことも、止めることもせずに、何か?といった表情で僕を仰ぎ見た。
何か?じゃないだろう。
「死にたいんですか!」
ああ、見ず知らずの女性に、何を言っているのだろう。
通り過ぎる人達は、痴話喧嘩かと、好奇の目を向けてくる。
ただ遠巻きに眺めて、彼女を傘にさえ入れなかったくせに、勝手なことだ。
彼女は唇を震わせながら、ゆっくりと応えた。
「どちらかといえば、死にたいです」
なんて、厄介なことに巻き込まれてしまったのだろう。
内心で頭を抱える僕に、彼女は静かに言葉を重ねる。
「身一つで捨てられました」
このまま死んでしまうなら、本望です、と。

サムネイル 写真素材 足成様 http://www.ashinari.com/

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