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久しぶりに会った元恋人は、突拍子もないことを言い出した。

2016-04-02

 

私ね、遊びの女になりたいの。
久しぶりに会った元恋人は、そんな突拍子もないことを言い出した。
「遊びの女って、愛人ってこと?」
「違う、違う。むしろ愛人は勘弁してほしいな。ごたごたには巻き込まれたくないもん」
人よりもほんの少しだけ整った顔で、ぷくーっと頬を膨らませる。
たぶん、本人は意識していないんだろうけれど、それがどれほど可愛いのか、小一時間くらい問い詰めたい気分だ。
「どういうこと」
つまりね、と彼女は真っ白な小鉢の中のマカダミアナッツを一つすくいあげて、口の中に放り込んだ。
「遊びでいい相手ってこと。恋愛の対象じゃない女ってこと」
なんで、とは口が裂けても言えない。
たぶん、俺にもその一因はあるのだろうから。
「損するぞ」
二十代後半。女としては脂ののった盛り。
きっと、一番綺麗な時期だろうに。
「損ね」
と、彼女は、落とすように笑って、グラスの水滴をなぞった。
「いいの。私には、これが性分に合ってるのよ。このくらいが、きっと、ちょうどいいの」
恋とか、疲れちゃったしね。
そういって俺を見て笑う彼女は、泣いているみたいだ。
「じゃあ、何。誰とでも手を繋ぐの」
「誰とでもとは言わないけど、そういう雰囲気になったらね」
「そういう雰囲気になったら、キスもするの」
「するよ」
「誘われたら、抱かれるの」
ふっ、と。
形のいい唇から息が漏れる。
何を、当たり前なことを聞いているの、とでもいうように。
「抱かれるし、抱かせる」
抱かれるじゃ、あんまりな言い方じゃない。まるで無理やりみたいとケタケタと笑うのだ。
ああ、泣きたい。
泣いて、しまいたい。
泣いて、嘆いて、やめてくれと、叫びたい。
俺が大好きなお前を、なんでそんな風に粗末に使うんだよ。
「もったいない」
「そういって、手放したのは、誰?」
やさしく言われた言葉が、鋭く胸をえぐる。
いい女なのに。
意志が強くて、やさしくて、今時他人のために泣けるような。
自分のいいたいことを相手に気を使いながら言えるような、そんな人。
好きだったのに手放したのは、俺では、支えきれなかったから。
彼女が悪いとかじゃなくて、彼女の器の大きさに、俺が耐えきれなかった。
もったいないことを、した。
優しかった彼女は、それから何度も裏切られて、絶望して、人を信じながらも、決して信用しなくなった。
必ず、一本の線を引いた。
そこを越えた人間は、誰もいない。
そうしてしまった原因の一端の俺が、何を言えるだろうか。
そうして逃げて、他の女と結婚し、それでも彼女に会いに来たのは、そうすることで許してくれるかもしれないなどという、しょうもない自分勝手な理由だった。
グラスの水滴が、流れる。
流れて、コースターにしみ込んだ。
「どうして、俺にその話をしたの」
んー…とほんの少しだけ困った顔をすると、彼女は、グラスのふちを、ぴんと爪ではじいた。
マニキュアもなにもしていない、健康的な桜色のその爪が大好きだった。
「なんとなく、かな」
他に、こんなこと話せる人もいないしね。と加えて笑う。
愛人にはならない、といっていた。つまりは、既婚者の俺は遊びの対象外ということ。
さてと、そろそろ出るよ。おうち帰んなよと、彼女は伝票を持つ。
いや、俺がと言いかければ、黒目勝ちの瞳が真っ直ぐにこちらをとらえた。
「子供、生まれたんでしょ。なら、こんなところで私なんかと飲んだ金はとっときなさい」
そうして指の間に伝票を挟み、ひらひらさせながら会計に向かう。
しゃんと、伸びた背中が遠い。
あの、見た目以上に小さな背中がたまらなく、恋しい。
「お前は、これからどうするの」
店を出れば、春の夜風は冷たい。
喧騒に混ぜてそう問えば、彼女は眼を細めて、口角をくいっとあげた。
「男を買ってくるわ。今日は金曜日だしね」
「そうか、おやすみ」
「おやすみなさい。気を付けて帰ってね」
ああ、また。
そういうことを言う。

サムネイル 写真素材 足成様 http://www.ashinari.com/

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